2010年8月11日水曜日

オランダ・アムステルダム 自転車の国

夏になると、わたしたちのところには、次から次に10人ほどの日本からのお客さんがあります。家族、仕事仲間、卒業生と様々です。ドイツ人は、みんな夏期休暇に出かけて、ほとんど家にいません。まるでゲルマン民族大移動です。

わたしたちもレンタカーでハイデルベルクを出発し、日本から来た妹夫婦とアムステルダム(オランダ)で合流、ブリュッセル(ベルギー)を通って、ハイデルベルクへ戻ってくるという、約1.200 km(なんと神戸から青森)の行程を車で回ってきました。高速道路網が整い、しかも無料のヨーロッパならではの旅行です。

オランダ、ベルギーと特徴があるので、いくつかそれぞれの一面をご紹介します。

オランダといえば、自転車。あまり起伏のない地形なので、自転車天国といわれるほど、自転車で移動するのが便利で、その数も多いです。でも、日本の自転車とはその造りが違うのでなかなか興味深いです。街で、見た自転車を紹介します。どんなところが違うでしょうか。

さて、気がつきましたでしょうか。そうです、ブレーキがないのです。別に壊れた放置自転車ではありません。決してブレーキがないわけではなく、ただハンドルにブレーキレバーがついていないわけです。それで、どうやって止まるかというと、ペダルを後ろ向きに少し回すとブレーキがかかります。ヒェ〜、こわ〜、なんか不安。もしこんな自転車に乗ったら、まるで初めてスキー板をつけた時みたいな感じになるんじゃないでしょうか。
もちろん、プレーキレバーがついた自転車も売っていますし、街の中を走っていますが、断然ブレーキレバーなしの自転車が多いように思います。

なんといっても鍵の頑丈さはびっくりします。ハイデルベルクでもそうですが、盗難防止のためにものすごく太い鎖(鉄縄)の鍵をつけています。

それと、前の荷台が特徴的ですね。下の写真は店で見かけた自転車屋さんの店頭の写真です。黒塗りの自転車が何とも精悍な感じです。

次は、オランダといえば「チーズの国」です。

2010年8月4日水曜日

8月、夏本番! アイスの季節!!!?

8月になりました。夏本場といいたいところなのですが。もう涼しい。まるで、もう夏終わっちゃったの?といいたくなるような涼しさです。朝夕は、13−15℃、昼も太陽が出ると少し暑く感じますが20−22℃ぐらいです。タンクトップ、半袖の人もいますが、その横に革ジャンを着ている人もいるという、まあ何とも奇妙な風景です。
先日、日本の知人からセミについて書かれたメールをいただきましたが、ドイツにはセミはいませんから、本当に静かな夏です。

以前、アイスクリームについてお伝えしますと言っていたのに、このままだとあっという間にアイスの季節も終わってしまいます。急いでお伝えいたします。

ドイツでアイス(アイスクリーム)というと、イタリアのジェラートのことです。夏前になるとこのイタリア系のジェラート店(上のお店は「ローマ」というアイスパーラーです)がオープンし、氷点下10℃ぐらいにもなる冬にはしまっています。短い夏の楽しみというところです。

街のどこにも自動販売機のないドイツでは、こどもたちと街に出かけ、疲れて、退屈したこどもたちへの魔法の言葉が「それじゃこれから、アイスを食べよう」「やったーっ、アイス」です。

アイスのお店のケースには20種類近いアイスが並べられています。どれを、いくつ食べるのか決め、コーンにするか、カップにするかを注文しなければなりません。

種類×数×食べ方の組み合わせの問題です。

一人でアイスを注文するのはなんてことないのですが、ドイツ語になれていなかったころ、家族でアイスを食べるときには、この注文に悩まされたものです。

家族に何を食べたいかと聞くと、
「ぼくは、バニラとイチゴ1個ずつ、カップで」(2個、カップ)
「わたしはチョコレート1個で、コーン」(1個、コーン)
「ピスタチオとクルミがいいかな。コーンで」(2個、コーン)
「それじゃ、わたしはティラミスとモカをカップで」(2個、カップ)
といいます。

なんでみんな同じものを同じように注文してくれないんだと思いつつ、しかたがないのでどうやって注文するか考えなければなりません。

行列に並んで、ようやくわたしたちの番になります。

後ろにはたくさんの人が並んでいる中で、この注文を一度にうまくドイツ語で言うにはどうしたらいいでしょうか。(みなさんも考えてみてください)

最初は身振り手振りの注文に、回転よく店を回していきたい店員はイライラしながら、コーンを持ったり、カップを持ったり、一度入れたアイスを元に戻したりしながら対応してくれます。後ろからは、はやくしろよと言わんばかりの視線を(かってに)感じながら、それこそ汗だくでアイスを注文していました。

正解というものはないのですが。わたしたちが覚えたのは、まず
「2玉アイスを3組、1組はカップで2組はコーンで。それから、1玉アイスを1組」
と、これから注文する概要を伝えます。
その上で、それぞれの注文をしていくわけです。

まあ、なんてことはないことですが、これをなれないドイツ語でいう時の難しさ。

よく、知り合いから「日常会話は不自由しませんか?」と聞かれることがありますが。こんな簡単なようで難しいことが日常会話にはたくさんあるので、何とも言えません。

ちなみに、アイスは1玉80セントから1ユーロ(100円から120円)程度です。
ドイツ人のおばあさんたちも食事の後このアイスを3玉ぐらい、もしくは山盛りのパフェをペロリと食べてしまいます。

2010年8月3日火曜日

ハイデルベルクの橋猿

ハイデルベルクの観光名所の一つに、ハイデルベルクの「橋猿」というのがあります。
アルテ・ブリュッケ(古い橋)と呼ばれる橋のたもとに、観光客をからかうように身構えている猿の像です。

もともと、この橋の近くの壁に彫られていたレリーフで、ハイデルベルクを訪れる人々をからかう言葉がこの猿の横に書かれていました。オリジナルのレリーフは壊れてしまったのですが、1977年に新しい像で再現されました。
この猿が発しているメッセージは古いドイツ語で書かれています。細かいニュアンスは分かりづらいのですが、だいたい次のようなことが書かれています。

Was thustu mich hie angaffen? 
Hastu nicht gesehen den alten Affen zu Heidelberg, 
sich dich hin und her, 
Da findestu wol meines gleichen mehr.
何をじろじろ見てるんだ。
ハイデルベルクの古猿を見なかったか?
あんたの周りを見てごらん
俺と同じようなやつがいっぱいいるだろう。


















この猿は左手に鏡を持っており、右手は猿を見ているわたしたちを指さしています。
つまり、「偉そうにしているあんただって、ほらこの鏡を見てごらん、俺と同じ顔しているだろ」と言いたげです。


この猿の横には、以前この近くに穀物倉庫があったので、その象徴として2匹のネズミがいます。

2010年8月2日月曜日

Laudate omnes gentes ある礼拝の中での思い

現在、ほとんど家で仕事をしているので、何かおもしろいことが身近で起こることがあまりなく、ブログに投稿することもなかったのですが、今日(8月1日・日曜日)、いつもいっている聖霊教会の礼拝に出ながら、いろいろと考えさせられました。

今日は、ハイデルベルクマン大会(トライアスロン競技)が開催されたので、街の中は少し賑やかな雰囲気でした。家から、健康のために小1時間ほどかけて教会まで歩いて行ったのですが、礼拝が始まる10分ほど前、この橋さえ渡れば教会に着くというところで、トライアスロンのためにその橋が通行止めになっていることが分かりました。もちろん、橋など10mおきにあるわけがなく、次の橋まで進み、また後戻りするしかありません。

なんとか、教会にたどり着いたころには、最初の賛美歌が始まっているころでした。礼拝堂に入ろうとすると教会役員の方が
「今は、礼拝中です。入らないでください」
とわたしたちの入場を阻止するわけです。それも、当然といえば当然で、聖霊教会はハイデルベクルの観光名所の一つであり、たくさんの観光客がこの教会を訪れます。礼拝中に、興味本位で入ってこられて、礼拝堂をうろうろし、写真でも撮り始められたら、迷惑な話です。ですから、教会役員が礼拝堂の扉のところで、観光客らしき人の入場を阻止しているのです。

「わたしたちは、その礼拝に来たんです」、というと
「どうもすみません。すみません。」と丁寧に謝られて、中に入れてくれました。
小1時間歩いて、さらに遠回りまでしてきて、「入らないでください」と言われたことで、いろいろなことが頭の中でグルグルと思い巡らされました。

さらに、もう一つ、ちょうどその教会の横の広場が、トライアスロンの通過地点になっているので、広場には一杯の人が集まって歓声を上げ、走ってきた選手に拍手をし、指笛を鳴らして激励しています。その一方で、閑散とした礼拝の静かなこと、荘厳ではありますが、躍動感のない雰囲気が対照的でした。

説教も、外の歓声にかき消されて、ただでさえドイツ語を聞き取るのに苦労するわたしの耳には全く入ってきません。


教会の外のいのちの躍動感に満ちた雰囲気
人々がお互いを喜び合い、励まし合う声


教会の中の静かで沈んでいくような雰囲気
礼拝に入るなと言われた(しかたがないけれど)声

このコントラストの中で、一体自分はここで何をしているんだろうか。礼拝って一体何なの。ここにイエスが共にいるんだろうかというような思いがこみ上げてきました。

日本の教会でも、「どなたでもおいでください」と言いながら、おそらく「今は礼拝中ですから、入らないでください。ここは教会ですから、入らないでください」というオーラや雰囲気を出していたり、言葉にしているんじゃないのかな、自分もそういうバリアを張っていたんじゃないだろうかと、外国人(見知らぬ人、不慣れな人、得体の知れない人、外から来た人)になってみて、あらためて考えさせられました。

外の歓声とわたしの考えで何の一言も残らなかった説教の後、聖餐式が行われました。パンをいただいた後、オルガンの伴奏に合わせてみんなが「Laudate omnes gentes」という短い歌を繰り返し、繰り返し歌いました。「すべての人よ、主をたたえよ」という意味のラテン語の歌です。その時初めて、外の多くの人が人々をたたえている歓声が消え、自分たちの中にも歓声が起こってきたような思いになりました。ぶどう酒をいただいた後にも、同じように「Laudate omnes gentes」を歌いました。


それから、席に戻り、座って上を見上げると、説教壇の上に立っているイエスが、なんだか自分の方を向いているような気持ちになりました。

その時、イエスが何をわたしに語りかけたのか、今はそれをどう表現すればいいのか、言葉を探しているところです。

礼拝が終わった後、礼拝に来ていたドイツ人の知り合いの学生と、トルコ料理のケパプを食べながら、礼拝の中での経験をいろいろと話をしました。彼女もやはり「Laudate omnes gentes」を歌ったときに、初めて自分は礼拝に来ているという思いになったと語り、ひとしきり礼拝について話した後、また歩いてそれぞれの家に帰る、そんな日曜日でした。

ああ、今日から8月、ドイツ留学ももう四ヶ月が過ぎてしまいました。

Laudate omnes gentes すべての人よ、主をたたえよ
Laudate omnes gentesはフランスのテゼ共同体やその集会でよく歌われている歌です。YouTubeの動画で聞いてみてください。

2010年7月27日火曜日

謎の芸術作品

わたしたちが住んでいるところから、ほんの2分ほど歩いた広場に、謎の芸術作品群があります。
いったい誰が、何の目的で、ここに展示(?)しているのか分かりません。決して、わたしの目には「う〜ん」と唸らせる感じではありませんが、その創造性には感心します。

はたして、みなさんはこれらの作品にどんなテーマをつけますか?

もしかして、現代版魔女の家か、それとも宇宙人の秘密基地かも......謎・謎・謎

2010年7月22日木曜日

シュヴェッツィンゲン城

ドイツに限らず、ヨーロッパはその歴史を知っていればいるほど、その扉を開いてくれると言えます。その街、その領地の歴史を知らなければ、どこも同じような街並みで、単なる古くてきれいなところで終わってしまいます。もちろん、それは日本でも同じことでしょう。

ハイデルベルク城も、外から見ると情緒溢れる風貌をしていますが、近くで見ると様々な建築様式で建てられており、建物に統一感がなく、バラバラな感じがします。しかし、そこにこの地の領主の移り変わりが表れているわけです。また、街の中にある様々なキリスト教のシンボルも、よく見るとカトリックとプロテスタントが主流宗教として入れ替わった歴史、またキリスト教の中で有名な「ハイデルベルク教理問答」も領主がルター派からカルバン派へ改宗したことによって作られたものです。そのように歴史を知っていると、街の中にある様々なシンボルや建築物がわたしたちに語りかけてくれます。でも、なかなか、複雑で覚えにくいのですが。

さて、ハイデルベルクからバスで30分、自転車で45分ほど行ったところに、シュヴェッツィンゲンという町があります。それほど大きな町ではないのですが、そこにプファルツ選定候(ドイツ王、神聖ローマ皇帝を選定する権利を持った諸侯の流れの一つ)の夏の宮殿があり、その建物と庭が見事なために多くの観光客が訪れています。

このプファルツ選定候の継承問題に、フランスが絡んできて、戦争が起こり、ハイデルベルク城もその争いによって破壊されてしまいました。
破壊されたハイデルベルク城の修復計画もありましたが、カール3世フィリップが、このブログにもたびたび出てくる聖霊教会をカトリック化しようとした結果、プロテスタント市民からの反感を買い、宮廷をマンハイムに移しました。
その後継者のカール・テオドールは再びハイデルベルクに城を移そうとしますが、稲妻がハイデルベルク城に落ち、城が炎上したために、その計画もうまくいかなく、その後廃墟となったわけです。そのために、ハイデルベルク城は美しさともの悲しさを兼ね備えているので、今となっては観光客にとって魅力的な城になっています。
このカール・テオドールが夏の宮殿として好んで用いたのが、シュヴェッツィンゲン城です。その庭は計算された造形美を持つ典型的なバロック式庭園と、自然の景観美を追究したイギリス式庭園を併せ持っています。

お城とその庭園を撮った写真をスライドショーにしました。庭の様式の違いを下のビデオでお楽しみください。

その庭園の木々は、さすが選定候の庭園だけあって、きれいに剪定されていました。
音楽が流れます。ご注意ください。




2010年7月19日月曜日

ケルンに行ってきました。

昨日の日曜日、ケルン・ボン日本語教会の礼拝に招かれ、ケルンに行ってきました。ケルンへはハイデルベルクから1回乗り換えて2時間弱で行くことができます。

ケルンへはこれまで5回ほど訪れたことがあります。毎回、ケルン駅から出たとたんに目の前に迫ってくるケルン大聖堂の大きさには度肝を抜かれます。
今回も、写真を撮ろうと思ってもなかなか写真のフレームに納まりません。このブログの写真では、実際の大きさは伝わらないだろうと思います。まるで大きな象の耳や鼻、足を部分的に写して、その大きさを知ってくださいといっているような感じです。
左の観光用の写真を見ていただくと、よっぽど遠くからでないと全体が撮れないことがお分かりになると思います。
今回訪れたときには礼拝中でしたので、教会の細部まで写真を撮ることができませんでした。


ひぇ〜、オルガンがあんなにも高いところに、高所恐怖症のオルガニストはどうするんでしょうか。
ケルン大聖堂(カトリック)はユネスコ文化遺産でもあり、正式には聖ペトロ・マリア大聖堂という名前です。世界最大のゴシック建築で、1248年に建築が始まり、1884年に完成したそうです。実はウルムというところには、世界一高い教会があります。ケルン大聖堂が157メートルで、ウルム大聖堂(プロテスタント)が161メートルでウルムの方が若干背が高いです。ウルム大聖堂はケルン大聖堂が完成した6年後、1890年に完成しました。ひょっとしてケルン大聖堂の高さを意識したのかも。しかし、全体的な大きさはなんと言ってもケルン大聖堂が圧倒的です。


さて、ドイツの教会はみんなこんなに大きいのかというと、そうではなく新しく作られた住宅地の新しい教会や小さな村(600人程度)には小ぶりな教会があります。カトリックの強い地方などに行くと、プロテスタントの人たちは本当に小さな集会室のような礼拝堂で礼拝していることもあります。

ケルン・ボン日本語教会自身は教会を持っておらず、ドイツのライン・ラント州教会のボンフェッファー教会を日曜日の午後お借りして礼拝を守っておられます。
この教会はあまり大きくなく、わたしにとってはむしろ親しみやすいサイズです。
2時から礼拝が行われ、主としてケルンに住んでおられる日本人の方、日本語を理解するドイツ人の方が集まってこられていました。礼拝の後は、おいしいケーキをいただきながら楽しくお話をさせていただきました。礼拝後の交わりもドイツに住んでいる日本人にとっては、貴重な情報交換の場でもあったり、また日本食を食べられる機会であったり、何よりも牧会の場でもあったりします。

礼拝の後、列車の時間まで3時間ほどあったので信徒の方と、ケルン大聖堂が見えるレストランで、ケルン名物のケルシュ・ビールとマチェス(塩漬けニシン)料理をいただきました。ハイデルベルクではビールは小さくて300ml、大きいものが500mlで売られていますが、ケルシュ・ビールはすべて200mlです。本当に一口でグイッといけるサイズで、グラスが空くとウェイターが「お代わりはいかがですか」と聞きに来ます。まるで、わんこそば的ビールといった感じです。わたしが注文したマチェスはニシンと野菜を冷たい生クリームソースに絡めたもの、じゃがいもに少しずつかけながらいただきます。

レストランの窓には、天国の鍵を持ったペトロのステンドグラス、ペトロの下にはペトロを象徴するニワトリが描かれていました。その窓の向こうには大聖堂が見えます。

ケルンを去るころには、3日前から苦しんでいた腰痛もなくなっていました。大聖堂の霊力か、日本語教会の楽しい交わりか、はたまたおいしいケルシュ・ビールのおかげなのか。