2010年4月22日木曜日

アフリカン・コア in 聖霊教会

先日の日曜日、4月18日は、街の中心にある聖霊教会に行ってきました。
この教会は、1398年から1515年の間、100年以上もかけて作られた教会です。ハイデルベクルは1556年にルター派になり、その後カルバン派にあらため、その後カトリック化されるという非常に希な歴史を経験しています。そのため、住民はプロテスタント信者と、カトリック信者が混在しており、1706年から1936年まではこの聖霊教会の奥の部分(内陣、聖歌隊席)はカトリック教会、長い部分(会衆席)はプロテスタント教会が使用しており、その境には壁が設けられていました。1936年にプロテスタント教会の所有となり、現在に至っています。
歴史豊かで、また大きく、荘厳なこの教会は観光名所の一つになっています。

内部の装飾やシンボル、ステンドグラスについてはいずれまたお伝えします。これがまたおもしろいんです。

もちろんこの教会にも信徒はいて、日曜日には11時から礼拝がまもられています。

18日の礼拝は南アフリカのハイデルベルクという町のLesedi Show Chorという教会コーラスグループが礼拝の中で歌うという特別な礼拝でした。

基本的にドイツの教会の礼拝では写真を撮ることが好まれていません。ビデオ撮影もしません。日本の教会のように誰かがパチパチと写真を撮っているようなことはないのです。ただ、日本の神学部の学生たちの"教育と研究"のためにドイツの礼拝を見せてあげたいという思いで、勇気を振り絞って牧師に頼み、「あまり目立たないところでしたらいいですよ」という許可をもらいました。
あまり目立たない、けれども礼拝の様子をとれる場所を確保し、大きなスタンドをもっていくと目立つので、教会の椅子に付けるような小さなスタンドで、スタンバイ・オッケー! 

するとわたしの前に3人の子ずれのお母さんが、「ここ、ここ、ここが良いわよ。ハイ、早く座って」と、やってくるではないですか。
「チョット、チョット、チョット、ここはわたしが撮影するために見つけたベストポジション、その前に座られては困ります」とも言えず、しかたがなくちょっとずらしてみるものの、この家族が邪魔。こどもはチョロチョロ動くし、立ったり、座ったり。「あー、せっかくのチャンスが」と思いつつも、この家族は何も悪いことはありません。本来礼拝を守ることが中心で、撮影は二の次ですから、何とか工夫して撮影しました(下の映像に出てくる家族ですよ↓)。

コーラスが、礼拝の中で、4回。ドイツの荘厳は雰囲気とは全く違うアフリカのリズムとメロディー、聞き慣れないズールー語の響きが違和感というよりも、まさに聖霊の働きによって、世界の教会がこの礼拝堂の中でシンフォニーを奏でているような心地よさを感じました。

ドイツ人の会衆も、牧師が用意したアフリカの歌を礼拝の中で歌おうと努力しているのですが、パイプオルガンはどうも合いません。「サンテサナ イェス」という歌を歌ったのですが、本来は手拍子をして、からだを動かしながら、踊りながら歌うような曲ですが、パイプオルガンの伴奏がつくと、「サ〜ン テ〜 サ〜ナ〜 イェ〜ス〜♪」というような感じになってしまいます。まあ、太鼓や打楽器をもってこないとダメですね。

礼拝では、聖餐式が祝われました。大きなサークルを作り、パンと葡萄酒(白ワイン)を受けます。最後は手をつないで、祈り、Laudate omnes gentes(すべての人よ、主をたたえよ)という歌を歌いながら、席に帰って行きました。

もっといろいろと報告したいことがありますが、百聞は一見にしかず、映像で見てください。ただ、4回のコーラス、聖餐式で、90分の礼拝になり、電源コードをつないでなんてこともできないので、最後のほうはバッテリーが0。何とか祝祷まではとれました。
90分の礼拝を10分ほどにまとめましたので、分かりづらいところもありますが、ドイツに来なくても少しだけ、ドイツの教会の雰囲気を味わってください。
礼拝出席は、80人ぐらいだったでしょうか。

さて、みなさんに課題です。ドイツの教会の礼拝と、日本の教会の礼拝と、どこがどう違うでしょうか。気づいた点をコメントに書いてくれたら、礼拝学の単位がもらえるというようなことはありませんが、嬉しいです。
たとえば、高いところにある説教台、説教者の頭の上には何がありますか。それは何を意味しているのでしょうか。

2 件のコメント:

  1. いやぁ~、何から何までスケールが大きくてびっくりしました。特にパイプオルガンが壮大ですね!!
    それでも、讃美歌のメロディに何曲か聴きなれているものもあり、やっぱり教会は一つのカラダから分かれている枝なんやなぁということを実感しました。
    あの説教台は高すぎですね・・・。高所恐怖症の牧師さんはどうするんでしょうか?
    頭の上にあったのは、オリーブの葉をくわえたハトに見えました・・・。ということはあの説教台は箱舟??ではないですね。。。
    「教育と研究のために」貴重な記録をしてくださってありがとうございます!!!

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  2. なるおさん
    いや、どんどんコメントが寄せられるかと思いきや、なるおさんだけでした。
    たしかにあんな高いこころから説教するのはちょっと緊張しますね。わたしも説教前の賛美歌の時に、階段を上っていって、こんな高い説教台から説教したことがあります。いまは、60−80人ほどの礼拝ですから、もっと下からせっきょしてもいいのですが、これが600人は入ろうかという礼拝堂ですので、まあこれぐらいの高さはいりますね。カトリックからプロテスタントに移ってくる中で、説教を重んじるプロテスタントでは、説教壇を礼拝堂のどの位置に置くかというのは一つの問題でした。この高さ、存在感は説教をどのように考えているかという一つの象徴だと思います。

    さて、頭上のシンボルは、ハトですが、残念ながらオリーブはくわえていません。もちろん、イエスの洗礼の場面でイエスの頭の上にくだった聖霊のシンボルのハトですね。つまり聖霊によって語っているということです。
    ペンテコステの出来事も思い出しますし、聖霊は語ることを禁じることもあります(使徒16:6)。聖霊によらなければだれも「イエスは主である」とは言えない(1コリント12:3)、つまり説教できないということでもあります。

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