ドイツに来てから、会う人会う人から「Hanamiという映画をみたか?」ということを聞かれます。それって、ひょっとして北野武の「Hanabi」の間違いじゃないのと思いながら、聞いてみると、そうではなくドイツ人が日本に行く話だというのです。
ドイツ人が日本に行く話なら2000年頃に「Erleuchtung garantiert」(悟り 保証付き)という映画があり、それの間違いではないのかと聞いてみると、どうも違うらしいのです。
Erleuchtung garantiert (悟り 保証付き)というのはドイツ人の兄弟が「悟り」を求めて、日本の禅寺に来るという物語です。
後で分かったことですが、Erleuchtung garantiert(悟り 保証付き)もKirchblüten -Hanami- (サクラ −花見−)も同じドーリス・ドョリーという監督の作品でした。
あまり何度も言われるので、気になって昨日日本のTSUTAYAの宅配レンタルみたいなサービスを利用して見てみました。
ドイツのバイエルン地方に住む老夫婦。真面目で堅実で自分が住んでいる世界のことしか知らない夫と日本好きで日本舞踊にあこがれている妻。実は、医者から夫は癌で余命幾ばくもないことが妻に告げられます。妻は一度日本に行ってみたいと思っていたのですが、その思いを夫に告げますが、夫を説得することも出来ないまま、夫より先に突然死してしまいます。
愛する妻を亡くした夫は、妻が好きだった、そして妻が見たいと願っていた日本に単身やってきます。実は東京に彼らの息子が住んでいるのですが。妻が着ていたガウン代わりの着物と彼女が最後に着ていた服を持って日本にやってきます。全く言葉が通じない中、様々な日本の日常に出会います。最終的には妻があこがれていた(前衛的)日本舞踊を毎日公園で舞う18才の女性と出会い、片言の英語で会話しながら富士山が見えるところまでたどり着き、きれいに晴れた日の朝、妻の着物を着て、彼自身が舞を舞い、その富士山が見える湖畔で死んでしまいます。
亡くなった妻を求めて、日本まで来て、彼は何を発見し、何を受け入れ、どう変わったのかがテーマであると言えます。その中で一つのキーワードが「影」でした。18才の女性が「わたしが踊っているのではなく、わたしの影が踊っているのだ」と語る言葉があります。最後には湖に映った逆さ富士がそのテーマを象徴するようです。生きている自分と死んだ妻。妻がいることが当たり前の昔と妻がいないことが当たり前の今。どちらが光で、どちらが影なのか。終わりが始まりなのか。それとも始まりが終わりなのか。そんなことを考えさせる、とても良い映画でした。
サクラのほうは2008年に上映された作品です。こういう作品には日本に対する先入観、つまり外国人にとって興味深い日本のシーンがちりばめられていて、そういう偏見にはちょっとうんざりするところがあります。(まあ、わたしのブログもドイツ人が読めば、変なところに目がいっていると思われるでしょうけど)。もちろん、こういう外国人が描いた日本を舞台にした映画は日本ではなかなか見る機会がないと思います。
それは、ドイツ人やオーストリア人が「サウンド・オブ・ミュージック」も、ドレミの歌も知らないのと同じです。「フランダースの犬」の物語も、アントワープの人は知りません。もちろん「森へ行きましょう、娘さん。アッハッーハ♪」という歌はスイス人は歌っていません。
2010年にドイツ留学を機に始めた「ドイツ滞在日記」の続きとして、日本の日常生活の中で出会ったり、発見したり、経験した躍躍(やくやく:こおどりしたくなる)ような出来事をお伝えします。
2010年5月27日木曜日
2010年5月24日月曜日
ペンテコステ+ビショップ=満員
昨日は、ペンテコステ(聖霊降臨祭)でした。大学教会である、ペテロ教会に行ってきました。礼拝は10時から始まりますので、いつものように9時30分頃に自転車に乗って家を出て、9時45分頃に教会に着くと、なんだかいつもとは違ってたくさんの人が教会の方へと歩いて行きます。
教会に入ると、ほとんどの席に人が座っています。固まって席が空いているところがあるので、そこに行ってみると、なんと説教者が見えない。別なところに行ってみると、そこは司式者も説教者も見えない。ようやく見つけた席は左端の後ろの席、パイプオルガンの真横。説教壇は高いところにあるので、かろうじて説教者は見えます。
そこに座ると、後から、目の前にいるブロックフレーテ奏者の付き添いの方が席を詰めてくださいといってこられました。ブロックフレーテ奏者は恩師のお連れ合いで、付き添いの方はその息子さんなので仕方なく横に詰めると、目の前には教会の大きな柱、この柱を見つめながら、またその柱の横から説教者をチラ見するよう感じでの礼拝となってしまいました。柱の右奥に見えるのが説教壇です。わたしの隣の二人は柱の陰で全く何も見えません。
ペンテコステ礼拝ということもありますが、説教者が以前ハイデルベルク大学神学部の教授で、つい最近までベルリン・ブランデンブルク州教会のビショップをされていて、EKD(ドイツ福音主義教会)の議長をされていたフーバー牧師でしたので、おそらく彼の人気がこれだけの人を集めたのだろうと思います。
それから、わたしの恩師ズンダーマイアー教授とそのお連れ合いが、礼拝の前日、土曜日に「二人で150才誕生日フェスト」を行いました(およそ100人のゲスト、わたしたちも参加していました。なんと夜の6時から12時まで)。この礼拝ではズンダーマイアー氏が司式をし、礼拝後にはペテロ教会のステンドグラスの解説をしてくれるので、そのゲストの多くの方も参加していました。ビショップ・フーバーもそのゲストの一人だったのです。
この写真はその誕生日フェストの風景です。一番手前に移っている白髪の男性は誰でしょうか。日本でも有名な新約学者です。今年の9月に日本に来られるそうです(写真をクリックして拡大すると名札が見えます)。
ペテロ教会の礼拝にも自転車に乗ってこられていました。
聖餐式は、大きな輪を3回に分けて作り、行われました。
まあ、ドイツの教会では珍しいことですが、ペンテコステ+ビショップ効果だったのでしょうか。
この教会のステンドグラスについてはいずれお伝えします。
教会に入ると、ほとんどの席に人が座っています。固まって席が空いているところがあるので、そこに行ってみると、なんと説教者が見えない。別なところに行ってみると、そこは司式者も説教者も見えない。ようやく見つけた席は左端の後ろの席、パイプオルガンの真横。説教壇は高いところにあるので、かろうじて説教者は見えます。
そこに座ると、後から、目の前にいるブロックフレーテ奏者の付き添いの方が席を詰めてくださいといってこられました。ブロックフレーテ奏者は恩師のお連れ合いで、付き添いの方はその息子さんなので仕方なく横に詰めると、目の前には教会の大きな柱、この柱を見つめながら、またその柱の横から説教者をチラ見するよう感じでの礼拝となってしまいました。柱の右奥に見えるのが説教壇です。わたしの隣の二人は柱の陰で全く何も見えません。
ペンテコステ礼拝ということもありますが、説教者が以前ハイデルベルク大学神学部の教授で、つい最近までベルリン・ブランデンブルク州教会のビショップをされていて、EKD(ドイツ福音主義教会)の議長をされていたフーバー牧師でしたので、おそらく彼の人気がこれだけの人を集めたのだろうと思います。
それから、わたしの恩師ズンダーマイアー教授とそのお連れ合いが、礼拝の前日、土曜日に「二人で150才誕生日フェスト」を行いました(およそ100人のゲスト、わたしたちも参加していました。なんと夜の6時から12時まで)。この礼拝ではズンダーマイアー氏が司式をし、礼拝後にはペテロ教会のステンドグラスの解説をしてくれるので、そのゲストの多くの方も参加していました。ビショップ・フーバーもそのゲストの一人だったのです。
この写真はその誕生日フェストの風景です。一番手前に移っている白髪の男性は誰でしょうか。日本でも有名な新約学者です。今年の9月に日本に来られるそうです(写真をクリックして拡大すると名札が見えます)。
ペテロ教会の礼拝にも自転車に乗ってこられていました。
聖餐式は、大きな輪を3回に分けて作り、行われました。
まあ、ドイツの教会では珍しいことですが、ペンテコステ+ビショップ効果だったのでしょうか。
この教会のステンドグラスについてはいずれお伝えします。
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