2010年11月19日金曜日

もうすぐクリスマス市

このだんだんと暗くなっていってく11月の何よりもの楽しみというか、あこがれは11月末から始まるクリスマス市です。

ハイデルベルクでは11月24日(水)〜12月22日(水)の1ヶ月間クリスマス市が開かれます。
12月23日には、ほとんどのクリスマス市がもう終わっています。この冬ハイデルベルクに来られる予定の方も、23日の3時に空港に到着し、夜9時までやっているシュトゥットガルトのクリスマス市に6時頃滑り込みセーフです。

24日になると街の中にはクリスマスの雰囲気は激減してしまいます。そして24日の午後から26日まですべての店は閉まり、人々は自分の故郷へ帰っていきます。いわゆる日本のお正月のような感じです。
開催まであと1週間ほどですが、すでに町の至る所で、その準備が始まっています。大学広場は、クリスマス市を準備するトラックで一杯です。
彼は星の下でイエスの誕生を告げる天使?
ドイツのほとんどの学生はリュックサックを持っています。
ちゃらちゃらした小さなハンドバッグで大学に来ている学生はいません。

この風景が実際にはどうなっているか、それはあと1週間後のお楽しみです。

2010年11月18日木曜日

ドイツの大学の授業

現在、1つのゼミナールと2つの講義に出席しています。

ゼミナールのテーマは、「オータナティブな礼拝」で。ドイツの伝統的な礼拝形式とここ数年ドイツの中で注目されている新しい礼拝形式を比較し、また新しい礼拝形式の特徴、その背景、神学的意味を学んでいます。

講義としては、ロア教授の「19世紀以降のドイツ教会史」とタイセン教授の「解釈学 現代社会における新約聖書理解」です。

ドイツの大学の講義は、Vorlesung(フォアレーズング)といってVor(前で)lesung(読む)という名前の通り、教授は自分が用意した講義原稿をひたすら読んでいます。もちろん、理解を深めるために、自由に話されることもありますが、1時間30分しゃべりっぱなしです。

タイセン教授は、授業10分ほど前にやってきて、黒板全面に今日の講義のアウトラインを書き、それに基づいて講義を進めていきます。
ロア教授は、昨日は黒板にある人物のわかりにくい名前を書いただけです。時々資料を配ることはあります。

レジュメ、パワーポイント、視聴覚教材、なんて関係ありません。

ただひたすらしゃべる。機関銃のようにしゃべる(外国人にはなかなかつらい)。

学生はというと、教授が語るのをひたすらノートしています。
私語は全くありません。
遅刻、早退なんて考えられません(でしたが、最近はちらほら)。
ただし、飲み物は自由です。お腹がすいたらリンゴでもかじっています。
分からないことがあれば、すぐに手を挙げて質問しています。教授もそれに快く答えてます。
講義が終わると拳で机を叩いて感謝します(抗議ではありません)。
ドイツの学生は基本的によく勉強していますし、自覚的ですし、積極的です。単位を取るというよりも、そのゼミや講義の内容を自分のものにするという意識がとても高いように思います。

わたしは、早口で話される講義をドイツ語でノートした方がいいか、もしくは日本語で書いた方がいいか迷っている内に、どんどんと進んでいく講義に引きずられているような感じです。全然眠たくありませんし、退屈しません。

ただ、10年ぶりにドイツの大学に出てみると、やはり時代の変化を感じます。

目の前の君、君、講義中何やってたの?
多くの学生がノートパソコンで授業のノートを取っています。(と思いきや、インターネットを見ている学生もいます)。
昨日は久しぶりで日本の古典的なサボり手段を見ました。いわゆる携帯型音楽プレーヤーをポケットにしのばせ、服の中からイヤホンを出し、まるで肘をついて授業を聞いている振りをしてイヤホンのコードを隠していました。その横の学生は、途中から机にうつぶせになって寝ていました。

本人は分からないつもりかもしれませんが、実は講壇からは不審な行動、姿勢はよく分かるものです。

いや、こんなことは昔なかったんだけどなあ、やっぱり時代は変わってきているのかと驚いた次第です。これもグローバリゼーションのなせる業でしょうか。その内に授業中にマンガを読み出す学生も出てくるかも知れません。

2010年11月15日月曜日

さらば、黄金の秋

あの黄金色に輝いていた秋も終わりに近づこうとしています。
2週間前には、こんなに黄色に茂っていた葉も

すっかりと落ちてしまいました。


もうすぐそこに冬が来ていることを示しています。

これは、シュベービッシュ・ハルにある「11月の男」というテーマの彫刻です。これからだんだんと暗くなり、冬になっていく時期に、ポケットに手を突っ込み、過ぎ去った夏の日、黄金の秋を思い起こしているようです。もしくは、これから過ごす厳しい冬を見据えているようでもあります。1年で一番もの悲しい季節なのですが、木々を飾っていたものがなくなって、むしろ本質的なものが見えてくる時期でもあります。
 ひょっとすると人間もそうかも知れません。華やかに着飾ったり、忙しくしていることによって見えなかったものが、それが落ちていったときに見えてくるのかも知れません。



あと10日もすると各地でクリスマス市が始まります。