先日、『ローマ法王の休日』という映画を見てきました。あえて前もってストーリーを読まずに映画を見ました。
ストーリーは、ローマ法王が亡くなって、次の法王を選ぶコンクラーベのところから始まり、選ばれた法王が民衆の前で挨拶をするまでの数日を描いたものです。
スリルとサスペンス、たくさんの謎解きというものはなく、むしろコミカルに物語は進んでいきますが、そこにはいかにも人間らしい姿が描かれていました。人間らしいといっても、権力欲をめぐるみにくい人間の争いではなく、むしろ枢機卿たちがコンクラーベの場で「どうぞ私が選ばれませんように」と祈る「人間らしさ」です。
人間でしかないものが、人間以上の存在へと高められていくことの悲哀と苦悩がそこにありました。新しい法王の誕生に感激し、ひれ伏す枢機卿や民衆は、その法王を喜んでいると言うよりも、「自分ではないこと」を喜んでいるようでもあります。
では、選ばれた法王はどうなのか。自分が自分でなくなった瞬間から、自分探しが始まります。そして、最後に民衆の前で語った言葉は、ローマ法王という役を演じたものではなく、やっと取り戻した自分の声、自分の言葉でした。
しかし、最後の彼の言葉をどのように評価するのか。ぜひ、自分で見て考えてみてください。わたしがもし法王に選ばれたら、どんなスピーチをするのか????