2010年10月29日金曜日

「神の女性性」展示会 3 鳩

キリスト教の神の女性性として聖霊が取り上げられることがあります。また、この聖霊が聖書の中では「鳩のように」と表現されており、また様々な絵画の中でも鳩が聖霊のシンボルとして描かれています。

鳩は必ずしもキリスト教だけで用いられているシンボルではなく、古代の絵画やまた彫刻等を見るならば、そこに鳩が登場しています。
 紀元前1900年、北シリア
鳩は愛の女性神の近くに描かれる愛の使者です。
紀元前1850−1720年、北シリア
右の山の上に立っているのが天候の神
この神に向かい合っているのがパートナーの女性神
その間(女性神から男性心に向かって)に鳩がいます。
紀元前1800−1700年、シリア
愛の女神、金星の女神イシュタルの壁画に描かれた鳩
古代から白い鳩はシリアやパレスティナにおいて愛の神の鳥として崇拝され、また描かれていたようです。それが後のギリシャのアフロディア、ローマのヴィーナスに受け継がれていったといわれています。
鳩は、愛の象徴であり、男女間の愛を表現し、それがキリスト教では神の愛の象徴として用いられています。
イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“”がのようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うもの」とおいう声が、天から聞こえた。(マルコ1:9−11)

2010年10月28日木曜日

「神の女性性」展示会 2 とりなし

以前ご紹介した「神の女性性」展示会の続きです。
「神の女性性」のテーマの一つに、「とりなし」があります。
男性中心主義の唯一神信仰の中でも、女性神が「とりなし者」として存在しています。

旧約聖書の外典の『知恵の書』に登場する「知恵」は、まるで人間のように描かれており(擬人化)、その「知恵」は人間と神との関係を仲介し、とりなすような存在であり、また「知恵」という言葉自身は女性名詞です。
旧約聖書の箴言にも「知恵によってえるものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる」(3:14)と、女性として表現されています。

次の写真を見ていただけると、
古代バビロニア、紀元前1850−1700
古代バビロニア、紀元前1850−1700
南メソポタミア、紀元前2000

女性が下腹に手を組んだり、顔の前に手を合わせて何かを願っている姿が伺えます。この女性たちの出で立ち、服装、姿勢は典型的な女性神で、神の前で人間のためにとりなしている姿です。

この女性神の役割が、イエスの母マリア、そして聖霊によって担われていったと解釈することができます。次のイコンや彫刻などにその片鱗を見ることはできないでしょうか。

聖書の次の言葉にも、「とりなし」が重要な役割を果たしています。また、洗礼者ヨハネもマリアと対になって、
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。(ヨハネ2:3)
”霊”自らが言葉に表せないうめきを持ってとりなしてくださるからです。(ローマ8:26)

そして、聖霊を表す「鳩」、イエスの洗礼の際に降ってきた霊:鳩がまさにこの女性性を表す象徴として、様々な絵画やシンボルの中に登場します。

2010年10月27日水曜日

忘れない ハイデルベルクから移送されたユダヤ人

1940年10月22日、ハイデルベルクから364人のユダヤ人がフランスとスペインの国境近くにあるギュール強制収容所に移送されました。
ちょうど70年経った、2010年10月22日におよそ200名を超える人たちがかつてユダヤ人が移送されたハイデルベルク駅跡の広場に集まりました。
各高校の学生が、その時に移送された人たちの名前を書いたプラカートと、「1940年10月22日、忘れないでおこう」という横断幕を持って、各学校から旧ハイデルベルク駅の1番線乗り場に向かって街を行進してきました。
先日、訪れたケルンの小さな町の道路標識にも、下のようなポスターがつけられていました。

ヴォルフガング シュトック
1942年7月18日の午後、フリーシュテーデンからミンスクに移送
15才で処刑

スージー シュトック
1942年7月18日の午後、フリーシュテーデンからミンスクに移送
13才で処刑

と書かれ、その下には、この近くの高校の学生たちの名前が書かれています。

小さなこと、しかし忘れないために出来ることは、いくつもあります。その気持ちと、アイデアがあるかないかです。

2010年10月26日火曜日

再びケルンへ いろいろな人との出会い

先日の土・日曜日、再びケルン・ボン日本語教会の一日学習会と礼拝に招かれて、ケルンに行ってきました。
特に観光をする時間はなかったのですが、今回はライン川沿いを走る列車でケルンに向かったので、ライン川沿いのワイン畑や紅葉に彩られた山々を見ながら列車の旅を楽しみました。




列車からは「なじかは知らねど」と歌う歌、また伝説で有名な「ローレライ」を見ることもできました。







日曜日の礼拝が始まる前に、土曜日の夜に泊めていただいたお宅の近くを散歩しましたが、その景色の美しいこと。秋の紅葉の中、晴れ渡った空の下、本当に広々としたところを歩くのは何とも気持ちがいいものです。

さて、ケルンの教会での礼拝が終わり、楽しい食事会がもたれます。炊き込みご飯も美味しくいただきましたが、この大福にびっくり!
これは一見普通の大福ですが、教会員の方の手作りの大福で、ドイツで食べる手作りの大福のなんておいしいこと、感激しました。
ドイツ人にも大人気、教会バザーでは行列が出来る大福です。
もう一つ、楽しかったのはたくさんの人との出会いでした。
まず、ケルンに先立って、実はかつてのゼミ生と彼女のお母さんがハイデルベルクに来てくださって、2日間ハイデルベルクを案内させていただきました。

さて、ケルンに行くと
わたしが勤めている関西学院大学から、わたしと同じようにデュッセルドルフ大学に留学に来られていた他学部の教授
ドイツに語学研修に来られている関学の総合政策学部の卒業生
同志社の神学部の卒業生で神学を学ぶために来られている若い牧師
と何かしら繋がりがある方と出会うことができてとても嬉しかったです。

関学の卒業生の方と同志社の卒業生の方と列車の待ち時間に、再びケルシュの店へ(7月19日のブログ)行って、しばしのどを潤しました。お若い二人に「ドイツでは・・・」「ドイツでは・・・」と先輩風を吹かせすぎたかなあとちょっと反省しています。