2010年7月2日金曜日

ハンブルクに行ってきました。

6月30日の夜にハンブルク大学神学部の授業で講演するために、ハンブルグに行ってきました。
ハンブルグへは、フランクフルトで乗り換えて、(フランクフルト駅構内↓)

5時間で着きます。結構列車の椅子がいいので、それほど疲れることもなく、ハンブルグに到着しました。(ハンブルク駅↓)

小さなゼミでしたが、その中で「日本におけるキリスト教の受容 マンガの中のイエス」というテーマで話をしてきました。以前お伝えしたように、ドイツもマンガブームで、若い人たちの間ではマンガ人口が増えているみたいです。ただ、インターネットによると、日本人が1年に平均一人15冊マンガを買っているのに対して、ドイツ人は0.25冊ですから、その差はもちろん歴然としてます。しかしながら、それでもドイツにおけるマンガ(ディズニーのコミック、アメリカン・コミックではない日本の漫画)購買数は年々上がっているということです。わたしは、手塚治虫の「きりひと讃歌」というすでにドイツ語に訳されている漫画の神学的解釈を紹介し、いろいろと有意義な議論を交わすことができました。「聖☆おにいさん」も少し紹介したところ、興味津々でした。「きりひと讃歌」についてはいずれ、、、。

ハンブルグ大学

さて、ハンブルグですが、久しぶりに都会を経験してきました。まず最初に行ったのが、ハンブルク市役所。ハイデルベルクで最初に観光客が訪れるのが聖霊教会だとすると、ハンブルクではこの市役所です。この威風堂々たる姿は、商業都市・貿易都市の市民の力、経済力を誇示し、その意識を保ち続けているようです。170年前に建てられたルネッサンス様式の建築で、市役所内部もなかなかの雰囲気です。


この市役所の地下には、教会が行っている社会福祉事業があり、失業者や社会保障の相談所、カフェ、中古衣服の提供、古本市などがあり、都市の中で教会は何ができるのかということを模索しているコーナーがあります。このコーナーの精神・神学的なバックボーンをになっているのが、神学部の中にある「教会と都市」というプログラムだということです。

教会もいくつか訪問しましたが、興味深かったのが聖ニコライ教会です。この教会は第2次世界大戦下に爆撃によって破壊されたままの姿が、若干補修されて、いわば(警告の意を込めた)記念建造物として残されています。

その中で、以前監修させていただいた『168の十字架』(キリスト新聞社)という本の中に紹介されていた「3本の釘の十字架」を発見しました。感激です。


またいろいろな記念碑もあり、いくつか紹介します。


また、聖ペトリ教会の外には、ナチスによって強制収容所で処刑された牧師・神学者ボンフェッファーの像が建てられていました。

ハンブルグはドイツでは大都会の一つで、街全体に刺激的な雰囲気が漂っています。ハイデルベルクに帰ってくると、やはりきれいな街ですが、ちょっと小さいかなという印象は否めませんでした。なかなか、文化的にも、また神学的にも現代的・刺激的な街で、もう少しその中でいろいろと経験したり、考えたりしたいと思わせられた2日間でした。

(講演の準備、原稿の締め切りにおわれて、ちょっとブログをお休みしていました。ハンブルク大学での講演が終わると、ここ数日の背中の痛みがスッキリ。なんか重荷をおろしたような感じでした。下の教会に関する記事は、移動の列車の中で読みました。)

ドイツ教会の危機

もちろんお気づきだと思いますが、下の絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のパロディーです。イエスが「弟子たちよ、どこに行ってしまったのか?」とあきれた顔(ちょっとまぬけた顔ですが)をしています。これは先日(6月30日)のDie Welt(ディ ヴェルト、世界)という新聞の一面の絵です。Die Weltは本当に読み応えのある新聞で、日刊ですが、日本の新書版2冊ぐらいの情報量(文字量)の新聞です。Die Weltは今の教会の問題を特集で取り上げたわけです。

このイエスの嘆きには、二つの意味があるように思います。
一つは、いま次々とドイツのカトリック教会・施設内での性的虐待が明らかになり、いま要職に就いている人たちの過去の事件なども表面化されてきたために、ドイツの社会・メディアはこの問題について厳しく追求しています。
アウグスブルクの司教のスキャンダルも明るみに出て、辞任にまで到ったのですが、その辞任が強制的に行われたので法に訴えると本人が言い出したりしたものですから、また大騒ぎになりました。結局は彼はその辞任の受け入れたのですが。
本当に、福音に生き、社会や・教会に仕えるべき司祭はどこに行ってしまったのかというのが、このイエスの嘆きでもあります。

もう一つは、この問題をきっかけに、今、どんどんと人が教会をやめて行っています。Die Weltには、あきれて教会を辞める人、抗議の印としてやめる人、痛みを持ち、また辞めることでさらに苦しみをになっていく人等様々な人たちが紹介されています。その中には、教会に無関心だった人だけではなく、むしろ教会で一生懸命奉仕してきた人たちもいるということです。
ドイツの場合、教会を辞める手続きは簡単で、はっきりしています。市役所の住民登録課に行って、3000〜4000円の手数料を払って、手続きをすれば終わりです。Die Weltは、先ほどのアウグスブルクでは、5月には249人、6月には121人の脱会者があったと伝えています。もちろんこれは、アウグスブルクだけではなく、全国的な現象です。

この絵は、教会を去っていく信徒たちに対して、「弟子たちよ、どこに行ってしまったのか?」というイエスの問いがなされているようにも思います。

日本から見て、これは対岸の火事ではなく、自分たちのこととして考える必要があると思います。教会は、新しい言葉と姿を求めなければ、教会は沈没していくかもしれません。