2011年1月14日金曜日

ネッカー川 ます、ます、増水

日本からいただいたメールには「ドイツはお寒いのでしょうね」と書かれていますが、最近はあたたかく、今日などは12度ぐらいあります。
そのため雪解け水、先日来の雨も重なって、ハイデルベルクの真ん中を流れるネッカー川が増水し、川沿いの道路も一部冠水、通行止めになっています。

とりあえず、今日は雨がやみましたが、気温が上がっているので、雪解け水が心配です。

4日前に撮影した写真と今日撮影した写真を比べていただけると、増水の加減が分かると思います。
上が1月10日の写真、下が今日、1月14日の写真です。


これも同じく、船に乗るためのタラップを見てください。


下の2枚は今朝の写真ですが、こどもたちの公園も白鳥の公園になってしまいました。

2011年1月13日木曜日

冬の教会

冬の間、ドイツの教会が抱える大きな問題の一つが暖房費です。
氷点下の気温の中、あの天井が高く広い礼拝堂を温めるには、数時間前から暖房をつけておかなければなりません。日曜日の礼拝は1時間ほどのもの、礼拝が終わると教会には誰もいません。また、冬天候が悪いと教会の出席者がガクッと減ります。

それで、いくつかの教会では冬の間、クリスマスの礼拝など以外は、教会に隣接する教会センターのような集会所で礼拝を守られています。

先日、出席した教会も「冬の教会」と称して、集会所で礼拝を守っていました。奏楽はパイプオルガンではなく、ピアノです。





たぶん2000人ほどの教会員がいると思いますが、礼拝はほとんど日本の中規模の教会と変わらないのではないでしょうか。

ただ、この教会も何も活発に活動していないわけではなく、

kreAKtiv礼拝と称して、信徒が中心となって新しい礼拝のあり方を実践しています。

kreAKtivというのは、kreativ(創造的な、英語のクリエイティブ)とaktiv(積極的な、英語のアクティブ)を合わせた言葉で、真ん中のAKが大文字で書かれているのは、この教会がAuferstehungskirche(復活教会)という名前だからです。この信徒のチームが月に一回創造的な礼拝を自分たちで考え、礼拝に積極的に参与しているわけです。

また、別な取り組みとしては、礼拝に来ると受付の横に、別々の祈りの言葉が書かれたカードが置かれています。礼拝に来た人が自主的にその祈りのカードを取り、礼拝の中で「とりなしの祈り」を担当します。

ドイツの教会も少しずつですが、動いています。

2011年1月11日火曜日

さようならクリスマス

1月6日・公現日:エピファニーが過ぎると街の至る所にクリスマスツリーが捨てられます。次の日には、ゴミ回収車が来て、回収していきます。


これを見ると、もうクリスマスは終わったんだという思いになります。あんなに楽しみにしていたクリスマスも、なんだか味がなくなったガムのように、捨てられ、片付けられるのかという少し寂しい感じもします。

街の中では、「クリスマス商品セール 70%引き」という看板も目にします。もう「売れなくなったもの、必要ではなくなったもの」を処分し、「クリスマスさん、あなたはもう用なしです。次の旬な方が来ますので、とっとと出て行ってください」といっているような印象を受けます。

霧のハイデルベルク

川の増水によって、これまで川の岸辺の草原で人間の憩いの場であったところが水たまりとなり、白鳥たちの憩いの場となっています。



湿気と気温の上昇によって霧に包まれたハイデルベルクです。

2011年1月10日月曜日

みょうに変だな〜?

2週間ほど前は、20年来の記録的な大雪かと思えば、ここ数日は奇妙に暖かい日が続いています。ハイデルベルクでも2週間ほど前は最高気温が−5度ぐらいだったのが、最近は最高気温が7−8度まで上がっています。そして、連日の雨です。そのため、まわり一面雪景色だったのが、ひとかけらの雪もなくなってしまいました。

こういう気温になると一番心配されるのが、川の増水、氾濫です。豪雨が降るわけではありませんが、積もった雪が溶け、さらに雨が降ることで、ドイツ各地の河川が増水し、洪水被害が広がっています。

わたしたちが住んでいるハイデルベルクでも、ネッカー川の水位が上がり、一部道路が冠水したところもあります。

同じ場所を撮影した写真がないので、比較が難しいですが、増水している様子が分かるでしょうか。


2011年1月9日日曜日

悲しい知らせを受けました

今朝、郵便受けに悲しい知らせが届けられていました。

黒縁の封筒は、訃報です。ほとんどの場合、封筒には送り主の名前が書かれていないそうです。



誰からの手紙だろうと思って、ドキドキし、「もしかして・・」と思いながら封を開けました。

わたしのドイツの指導教授からの手紙で、一昨日おつれあいが亡くなられたということです。

お体の調子が良くないのは存じ上げていましたが、こんなにも早くお亡くなりになるなんて、、、、、。

4月にハイデルベルクに来たときには、昼食を作って迎えてくださり、楽しくお話をさせていただいたのに、、、、、。

仲の良いお二人であったのに、病弱な妻のために過ごしやすい住まいまで造り、引っ越しされたばかりであったのに、、、、、、とても悲しいです。

日本でも黒い縁取りは死にまつわるものでありますが、日本で新聞の死亡広告に取り入れられたのは、1877(明治10)年であったと聞いています。明治30年頃には日本に定着したといわれています。おそらく、開国と共にヨーロッパ・アメリカから日本に入ってきた習慣であったのでしょう。