2010年7月9日金曜日

ロウソクの光

あらゆる宗教においてロウソクは重要な役割を果たしています。光は希望、いのちを象徴しています。
ドイツの教会に行くと、すべての教会とはいいませんが、ロウソクを灯すコーナーがどこかにあります。それぞれがそのロウソクに祈りを託すように、火を灯しています。そこに集められたひかりはみんな同じですが、人々の様々な思いを反映するかのようにそれぞれに違った動きをしています。
ロウソクを灯すにもいろいろな方法があるのでご紹介します。

ロウソクは1個50円程度で売っていて、そこで買い求めて火を灯してます。

日本でもティーライトという上のようなロウソクが普及してきました。ある日本の小さな村のレストランでもこんな感じでおしゃれにロウソクが使われていました。


日本の教会は、照明器具、エアコン、放送設備にこっていますが、こういう原初的な宗教行為が行えるコーナーがあってもいいのではないでしょうか。
下の写真ははわたし自身が日本で行った礼拝でのロウソクです。

2010年7月7日水曜日

ステンドグラス in ハイデルベルク −5−

6月14日のブログにコメントをつけずにシュライター氏のステンドグラスを紹介し、自由にそれぞれにそのメッセージを感じ取り、解釈してもらいました。

気がつくと、あれからもう3週間もたっていたのかと、ちょっと驚いています。というのは、6月中旬から、なんだか段々と時間がたつのがはやくなってきたような感じがしているからです。なんだか4・5月の1.5倍ぐらいの速さで時が過ぎているようです。ちょっと、焦ってしまいます。

それはともかく、2つのステンドグラスもほったらかしにしておくことはできないので、少しコメントをつけてご紹介します。

まず、「復活」のステンドグラスです。

右側の灰色の帯は、死や不安、罪の支配を表現しています。そして、その下の最も濃い茶色は、死が最も強い力を持つ墓、死の世界がイメージされていいます。

そしてその奥深くに小さな赤い光を見ることができますが、そこから、光が立ち上るように白い帯が天に向かって伸びているのが分かります。

赤は神の愛を象徴し、そして、その愛が働いて白が象徴する復活、いのちが、墓、死の支配を打ち破って上へと伸びあがっています。

しかし、その光は上に昇っただけではなく、再び上から下へと、天からわたしたちの世界へと降りてきています。

墓から立ち上る白い光の横に、小さな青い四角があるのが分かりますか。青は神の誠実さを表し、まさにこれが復活であることを宣言する福音書の役割を担っていると言っていいと思います。

そして、右側のそれぞれの小さな死の支配、わたしたちのいのち、人生を象徴する小さな墓へと降りてきているのが分かります。

そして、数カ所に絵が切り裂かれたように、鋭い線が入っていますが、それはまるでわたしたちの人生が鞭打たれたような厳しい経験を表現しています。その中に、キリストの復活の光は差し込んできているのです。

次に「迫害」のステンドグラスです。
このステンドグラスの背景になっているのは、ナチ時代のキリスト者迫害です。灰色がかった青はわたしたちの人生を表現しています。そして、その人生を邪魔するように横から黒い力が入りこんでいます。

白い力がそれを阻止しようと衝突しているのが分かります。まるで悪魔と天使との戦いのようですし、黒は襲いかかるオオカミのようにも見えます。
また、全体に鞭打たれたような線が入り、その痛みが表現されています。
しかし、上からの光、先ほどの復活の光がわたしたちのいのちの中に入りこんでいるところに救いがあります。

すべてのものを説明することはできませんし、芸術作品ですから、それを全部理屈と1つの公式で解釈することも意味がありません。あとは自由な解釈が許され、またわたしたちに委ねられているように思います。

また逆に、芸術家のキリスト教理解は、牧師や神学者のキリスト教理解に1つの衝撃とまた解放を与えてくれます。このステンドグラスを見ながら、もう一度聖書解釈を試みてみてはいかがでしょうか。

さて、もう一つおまけですが。

これまで紹介した3つのステンドグラス(出会い、復活、迫害)は、人間の現実と福音を描いています。それに対して、まさにその向かい側の窓に「平和」と題するステンドグラスが作られています。それは先の3つとは違って、灰色や黒が支配するところはなく、復活といのち、光を象徴する白が支配的です。その白の光が、天のエルサレムを表す金色の机の上にのっかっています。死も、不安も、罪もこのところには入る隙間がない、そういう平和が描かれています。このステンドグラスの光によって、すべての人の祈りを受け入れる安らぎと平和が、祈りの場所であるこの空間を支配しています。

2010年7月5日月曜日

小さな街の大きなお祭り

シュベニンゲンというところに住む知り合いの牧師家族に招かれて、その町の文化の夕べ(夏祭り)と花博での礼拝に参加してきました。
土曜日は、なんといってもドイツ対アルゼンチンのサッカーの試合があり、街はその時はあまり人通りがありません。もしくは、カフェに集まって、歓声を上げ、ブブゼラを吹きながらのドイツチームを応援しています。パン屋も(個人的な理由か客が来ないからか)土曜日は早くに店じまいしているところもあります。4−0のドイツチームの快挙に小さな街ですが大騒ぎでした。

この試合が終わってから夏祭りが始まります。8万人ほどの小さな町ですが、34カ所約140ほどの催しが18:00から翌日2:00(朝食)まで行われています。最初の盛り上がりは、ABBA99というABBAのナンバーを歌うグループのステージ。



ドイツ人も踊る、踊る、踊る。ワールドカップでの勝利もあり、大変な盛り上がりでした。すべての催し物を見ることはできませんが、こどもサーカス団、教会のオルガンでジャズ演奏、ノリのいいラテン系バンド、バグパイプ演奏などを見てきました。花火の打ち上げもありましたが、それからまだ祭りは続きます。
牧師館がメイン会場の前にあるので、1時ぐらいまでは否が応でもお祭りのまっただ中にいるわけです。


翌日は、この町で開かれている花博のメイン会場での礼拝に参加してきました。この礼拝はビッグバンドによって伴奏・演奏がなされるという、ドイツの教会にはない雰囲気で、とても新鮮な感じがしました。

終わったあと、90才ぐらいの女性が「今日の礼拝、良かったわ。もうグレン・ミラーが懐かしく、若い時によく聴いたのよ」といっていました。そういえば、演奏者も若干年配者が多かったようです。

これがわたしたちが泊まった牧師館です。

約400年前に建てられた建物で、街の中でもきれいな建物の一つです。この建物の3,4階が牧師館で、その下は教会の事務室、牧師室、キリスト教福祉事務室などいろいろな教会の働きの拠点になっているところです。大きくてうらやましいような、もてあましそうな感じです。