6月14日のブログにコメントをつけずにシュライター氏のステンドグラスを紹介し、自由にそれぞれにそのメッセージを感じ取り、解釈してもらいました。
気がつくと、あれからもう3週間もたっていたのかと、ちょっと驚いています。というのは、6月中旬から、なんだか段々と時間がたつのがはやくなってきたような感じがしているからです。なんだか4・5月の1.5倍ぐらいの速さで時が過ぎているようです。ちょっと、焦ってしまいます。
それはともかく、2つのステンドグラスもほったらかしにしておくことはできないので、少しコメントをつけてご紹介します。
まず、「復活」のステンドグラスです。
右側の灰色の帯は、死や不安、罪の支配を表現しています。そして、その下の最も濃い茶色は、死が最も強い力を持つ墓、死の世界がイメージされていいます。
そしてその奥深くに小さな赤い光を見ることができますが、そこから、光が立ち上るように白い帯が天に向かって伸びているのが分かります。
赤は神の愛を象徴し、そして、その愛が働いて白が象徴する復活、いのちが、墓、死の支配を打ち破って上へと伸びあがっています。
しかし、その光は上に昇っただけではなく、再び上から下へと、天からわたしたちの世界へと降りてきています。
墓から立ち上る白い光の横に、小さな青い四角があるのが分かりますか。青は神の誠実さを表し、まさにこれが復活であることを宣言する福音書の役割を担っていると言っていいと思います。
そして、右側のそれぞれの小さな死の支配、わたしたちのいのち、人生を象徴する小さな墓へと降りてきているのが分かります。
そして、数カ所に絵が切り裂かれたように、鋭い線が入っていますが、それはまるでわたしたちの人生が鞭打たれたような厳しい経験を表現しています。その中に、キリストの復活の光は差し込んできているのです。
次に「迫害」のステンドグラスです。
このステンドグラスの背景になっているのは、ナチ時代のキリスト者迫害です。灰色がかった青はわたしたちの人生を表現しています。そして、その人生を邪魔するように横から黒い力が入りこんでいます。
白い力がそれを阻止しようと衝突しているのが分かります。まるで悪魔と天使との戦いのようですし、黒は襲いかかるオオカミのようにも見えます。
また、全体に鞭打たれたような線が入り、その痛みが表現されています。
しかし、上からの光、先ほどの復活の光がわたしたちのいのちの中に入りこんでいるところに救いがあります。
すべてのものを説明することはできませんし、芸術作品ですから、それを全部理屈と1つの公式で解釈することも意味がありません。あとは自由な解釈が許され、またわたしたちに委ねられているように思います。
また逆に、芸術家のキリスト教理解は、牧師や神学者のキリスト教理解に1つの衝撃とまた解放を与えてくれます。このステンドグラスを見ながら、もう一度聖書解釈を試みてみてはいかがでしょうか。
さて、もう一つおまけですが。
これまで紹介した3つのステンドグラス(出会い、復活、迫害)は、人間の現実と福音を描いています。それに対して、まさにその向かい側の窓に「平和」と題するステンドグラスが作られています。それは先の3つとは違って、灰色や黒が支配するところはなく、復活といのち、光を象徴する白が支配的です。その白の光が、天のエルサレムを表す金色の机の上にのっかっています。死も、不安も、罪もこのところには入る隙間がない、そういう平和が描かれています。このステンドグラスの光によって、すべての人の祈りを受け入れる安らぎと平和が、祈りの場所であるこの空間を支配しています。