2010年10月28日木曜日

「神の女性性」展示会 2 とりなし

以前ご紹介した「神の女性性」展示会の続きです。
「神の女性性」のテーマの一つに、「とりなし」があります。
男性中心主義の唯一神信仰の中でも、女性神が「とりなし者」として存在しています。

旧約聖書の外典の『知恵の書』に登場する「知恵」は、まるで人間のように描かれており(擬人化)、その「知恵」は人間と神との関係を仲介し、とりなすような存在であり、また「知恵」という言葉自身は女性名詞です。
旧約聖書の箴言にも「知恵によってえるものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる」(3:14)と、女性として表現されています。

次の写真を見ていただけると、
古代バビロニア、紀元前1850−1700
古代バビロニア、紀元前1850−1700
南メソポタミア、紀元前2000

女性が下腹に手を組んだり、顔の前に手を合わせて何かを願っている姿が伺えます。この女性たちの出で立ち、服装、姿勢は典型的な女性神で、神の前で人間のためにとりなしている姿です。

この女性神の役割が、イエスの母マリア、そして聖霊によって担われていったと解釈することができます。次のイコンや彫刻などにその片鱗を見ることはできないでしょうか。

聖書の次の言葉にも、「とりなし」が重要な役割を果たしています。また、洗礼者ヨハネもマリアと対になって、
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。(ヨハネ2:3)
”霊”自らが言葉に表せないうめきを持ってとりなしてくださるからです。(ローマ8:26)

そして、聖霊を表す「鳩」、イエスの洗礼の際に降ってきた霊:鳩がまさにこの女性性を表す象徴として、様々な絵画やシンボルの中に登場します。

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