2010年7月22日木曜日

シュヴェッツィンゲン城

ドイツに限らず、ヨーロッパはその歴史を知っていればいるほど、その扉を開いてくれると言えます。その街、その領地の歴史を知らなければ、どこも同じような街並みで、単なる古くてきれいなところで終わってしまいます。もちろん、それは日本でも同じことでしょう。

ハイデルベルク城も、外から見ると情緒溢れる風貌をしていますが、近くで見ると様々な建築様式で建てられており、建物に統一感がなく、バラバラな感じがします。しかし、そこにこの地の領主の移り変わりが表れているわけです。また、街の中にある様々なキリスト教のシンボルも、よく見るとカトリックとプロテスタントが主流宗教として入れ替わった歴史、またキリスト教の中で有名な「ハイデルベルク教理問答」も領主がルター派からカルバン派へ改宗したことによって作られたものです。そのように歴史を知っていると、街の中にある様々なシンボルや建築物がわたしたちに語りかけてくれます。でも、なかなか、複雑で覚えにくいのですが。

さて、ハイデルベルクからバスで30分、自転車で45分ほど行ったところに、シュヴェッツィンゲンという町があります。それほど大きな町ではないのですが、そこにプファルツ選定候(ドイツ王、神聖ローマ皇帝を選定する権利を持った諸侯の流れの一つ)の夏の宮殿があり、その建物と庭が見事なために多くの観光客が訪れています。

このプファルツ選定候の継承問題に、フランスが絡んできて、戦争が起こり、ハイデルベルク城もその争いによって破壊されてしまいました。
破壊されたハイデルベルク城の修復計画もありましたが、カール3世フィリップが、このブログにもたびたび出てくる聖霊教会をカトリック化しようとした結果、プロテスタント市民からの反感を買い、宮廷をマンハイムに移しました。
その後継者のカール・テオドールは再びハイデルベルクに城を移そうとしますが、稲妻がハイデルベルク城に落ち、城が炎上したために、その計画もうまくいかなく、その後廃墟となったわけです。そのために、ハイデルベルク城は美しさともの悲しさを兼ね備えているので、今となっては観光客にとって魅力的な城になっています。
このカール・テオドールが夏の宮殿として好んで用いたのが、シュヴェッツィンゲン城です。その庭は計算された造形美を持つ典型的なバロック式庭園と、自然の景観美を追究したイギリス式庭園を併せ持っています。

お城とその庭園を撮った写真をスライドショーにしました。庭の様式の違いを下のビデオでお楽しみください。

その庭園の木々は、さすが選定候の庭園だけあって、きれいに剪定されていました。
音楽が流れます。ご注意ください。




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