2010年5月17日月曜日

オルガンの奏楽を楽しむ

ドイツの礼拝に出る楽しみの一つは、パイプオルガンの奏楽を聞くことです。
礼拝の最初の前奏、そして最後の後奏はもちろんですが、会衆が賛美歌を歌う前に弾く前奏、そしてその伴奏、それからその賛美歌の後奏をオルガニストがどのように用意しているのかということも楽しみです。

最初ドイツの礼拝に出たときに、賛美歌を歌うというときに、オルガニストがなにやら弾き始めたのですが、いったいこの人は何を弾いているのだろうかと思っていると、その演奏が一瞬途切れると、会衆が賛美歌を歌い始めたのにびっくりしました。
これから歌う賛美歌のメロディーを一回弾きますから、会衆のみなさんご準備くださいというのではなく、オルガニストが、その曲の旋律を織り込んで編曲した(わたしにとっては全く別の曲かと思えた)前奏を弾くわけです。

その前奏に段々慣れてくると、賛美歌の前奏であるということ気がついてきます。それぞれのオルガニストの腕の見せ所です。前奏だけではなく、伴奏も、また歌い終わったあとの後奏もアレンジしています。オルガンはオルガンで、会衆は会衆で、それぞれの役割を担いながら、一つの賛美歌ができあがっているという感じです。

礼拝の賛美歌にそんな「装飾」はいらない、大切なのは神さまを賛美するこころですといわれる方もあると思います。もちろん、そういう考えもありますし、神学的に何が正しいということはありません。そんなオルガニストでないと賛美ができない、ドイツの方が本物だということでは全くありません。
オルガニストによっては、ちょっとあなた出しゃばり過ぎじゃないのというような前奏を用意してくる方もいて、ちょっと辟易することもあります。

むしろ賛美において「一歩退く」ということを感じるのです。一度この奏楽に親しむと、自分が歌うという意識が退き、オルガンも、会堂も、いろいろな礼拝堂の中のシンボルも、光も、陰も、そして会衆も一緒になって神を賛美する一つの「響き」を創り出しているのだという気持ちになってきます。
百聞は一見にしかず。ある賛美歌の前奏と1番だけを聞いていただいて、どのような感じなのか味わってみてください。残念ながら、前奏の最初の方は雑音が入ったので、カットしています。また、この賛美歌は礼拝の一番最初に歌ったものですから、礼拝全体の前奏も兼ねたものであり、若干普通の賛美歌の前奏よりも長めです。




まあ、この大きな礼拝堂にしては少ない会衆で、決して賛美の声が十分であるとは言えないのが、残念な点ですが。ドイツ全体で賛美歌を歌える人が少なくなってきて、葬儀でも賛美歌を歌う代わりに、オルガン、フルート、バイオリンによる演奏が行われるというのが現状です。

1 件のコメント:

  1. むしろ賛美において「一歩退く」ということを感じるのです。一度この奏楽に親しむと、自分が歌うという意識が退き、オルガンも、会堂も、いろいろな礼拝堂の中のシンボルも、光も、陰も、そして会衆も一緒になって一つの神を賛美する「響き」を創り出しているのだという気持ちになってきます。

    →やっぱり礼拝は人間の五感すべてをフルに活用して味わうものですよねぇ~!!そんな中で、自分なりのかかわり方で礼拝に参加できてると実感できれば、毎日の礼拝がどんどん楽しくなりますね☆

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