2011年5月11日水曜日

日本国憲法を読む

憲法記念日は1週間前でしたが、以前から気になっていたというか、とても感激もし、その言葉一つ一つが心にしみこんでくる「日本国憲法」についての本を2冊ご紹介します。どちらも、日本国憲法を「わたしたちの言葉」で読むことを試みたものです。

1冊目は、わたしの好きな作家の井上ひさし氏の『井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法』(講談社)です。井上ひさし氏が日本国憲法をこどもが読めるように翻訳し、解説してくれたものです。もう一つは、ある朗読サークルの活動から始まった大原穣子氏の『方言で読む日本国憲法』(五月書房)で、日本国憲法を大阪弁と広島弁に翻訳したものです。

この二つを紹介するのは、単に原文を簡単な言葉に書き換えたり、方言でおもしろおかしく表現しただけではなく、そこには日本国憲法を学んだうえで、それを自分たちの憲法として、自分たちで理解し、自分のものにしようとする思い(思想)があるからです。

そのうちの「第9条 戦争の放棄」をご紹介します。

まずは原文から(うーん、なかなか難しい)、
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

井上ひさし訳
私たちは、人間らしい生き方を尊ぶというまことの世界を真心から願っている。
人間らしく生きるための決まりを大切にするおだやかな世界をまっすぐに願っている。
だから私たちは、どんなもめごとが起こっても、これまでのように、軍隊や武器の力でかたづけてしまうやり方は選ばない。
殺したり殺されたりするのは、人間らしい生き方だとは考えられないからだ。どんな国も自分を守るために、軍隊を持つことができる。
けれども私たちは人間としての勇気を奮い起こして、この国が続く限りその立場を捨てることにした。
どんなもめごとも筋道をたどってよく考えて、ことばの力をつくせば、かならずしずまると信じるからである。
よく考えぬかれたことばこそ、私たちのほんとうの力なのだ。
そのために、私たちは戦をする力を持たないことにする。
また、国は戦うことができるという立場もみとめないことにした。

大原穣子訳(大阪弁)
わたしら戦争はしまへんねん。
わたしら日本国民は、まがった事は嫌いだすねん。正しい事は正しいと言える、道理を大事に守って、安心して暮らせる世の中を作りたいと心からねごうてます。
せやさかい、戦争はいりまへんいうて、三つの約束ごとを決めましたんや。
一つ目は、むかし、世界では「これから戦争始めまっせ!」と宣戦布告してからやったら戦争始めてもええことになってましてんけど、そんなことはみとめまへん。
それから、わたしらの国のいうことを、相手の国が聞いてくれへんからいうて「なー、あんさん、うちとこな、ミサイルかて、原爆かておますねんでぇ・・・」と、どこかの国みたいに、相手を脅かすようなこともせえしまへん。国と国どうしが考え方が違うたり、グジャグジャグジャグジャもめ事が起こったりしても、それをあんじょうおさめよう思うて、鉄砲やらミサイルやらは使いまへん。
せやからどんな理由があろうとも、戦争はこれからさき、絶対にやらんということを誓いましたんや。
 二つ目は、誓うたからには、それを守らなあきまへん。せやさかい軍隊や武器は一切もたしまへん。陸軍やら海軍やら空軍は勿論のこと、核もミサイルもサリンも、毒ガスも、それから戦闘機に、軍艦に、潜水艦に戦車に地雷に劣化ウラン弾・・・・・・いやぁ、こないして挙げてみると、人殺しの道具てようけおますねんなー。わたしらそんなもんはいりまへんわ。わたしらの暮らしになんの役にもたたんそんなもんに、わたしらの税金使うやなんてそんなアホらしい。もっと福祉やら、教育費やらに使うてほしいわ。それに若い働き盛りの男はんを赤紙一枚でむりやり戦争へ引っ張り出す、あの徴兵制度なんかもとんでもない。軍備を持ってへんかったら戦争はでけへんのやさかい、兵隊さんもいりまへんわな。
それからもう一つ、私らの政府が戦争をやるという権利も、こら絶対に認めることはできしまへん。これが、世界に誇る憲法第9条だすねんわ。


いかがですが、大原穣子氏の本には朗読CDがついています。聞いているとほんとうに心にすーっとはいってきて、これを大切にしようという思いになってきます。

(こんなふうに翻訳された聖書があったらいいなあ〜)

1 件のコメント:

  1. 方言で憲法が読めるなんてすばらしいですよね。本屋さんで探してみます。授業のネタにでもしようかな・・・いや。大切なことでとして。

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