2011年6月11日土曜日

中野京子『印象派で「近代」を読む』を読む

昨年、ヨーロッパの美術館巡りをしました。パリの美術館を巡って、1日で四万歩以上ももあるいたこととも。その度に、「あ〜っ、もっと美術を勉強しておけば良かった」と痛感しました。マネ、モネ、セザンヌ、ゴッポ、ゴーギャンという、聞いたことのある有名な画家の名画が目の前にあり、本物の迫力が迫ってきます。

でも、いつも何かしらのもどかしさが感じます。本物のすごさと「きれい、すごい」という形容詞だけでしか表現できない自分の語彙と解釈力の貧しさのギャップを感じてしまうわけです。そんな思いから美術館のショップで絵の解説書を買って帰るのですが、まぁ、それを家で読んだことがなく、ただ本棚を飾っているだけになっています。

今朝読んだ中野京子著『印象派で「近代」を読む』は、そんなもどかしさを少し解消してくれ、またあの名画たちを見てみたいという思いにさせてくれました。絵は他人の解釈や、学問的な知識や、歴史的な背景を知らなくても、受けて自身の感性で受け止め、楽しめばいいということは言えますが、どうしても、文化的・社会的・歴史的にも遠すぎる日本の「現代人の目」では分からないことがたくさんありすぎるように思います。

宮廷絵画に反発した印象派の画家たちの主張、マリー・キュリーがノーベル賞を2回も取りながら女性であるという理由で科学アカデミーの会員になれなかったという当時のフランスの権威主義の中で印象はたちが描いた女性の意味や当時の女性の社会的地位、自然の中にアトリエを移すことができたチューブ入り絵の具の発明などなど。この本には。ヨーロッパ絵画の目にかかっていたベールを一枚ずつ剥がしていってくれる、それこそ「目から鱗」のお話が紹介されています。

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