何がこの絵に描かれているでしょうか。上から見てみると。
赤い螺旋状の動きの中に男の人と女の人、その周りには城壁。
中央の大きく描かれた男の人が最も重要だと思われますが、
- 顔は上の赤い部分に溶け込んでいるようです。
- 上半身は裸ですが、脱いだというよりも消えかかっているような感じです。
- 首からはホタテ貝をぶら下げています。
- 手には仮面を持っています。
- 下半身の服からこの男はピエロのようです。
- 男の横には、墓があります。
- その墓の前には、前半分(上)と後ろ半分(下)を区切るように壁がありますが、その壁の一部がまるで外国のような形をし、ちょうどそのところが割れています。
この絵は、最後の審判を表したものです。ヨーロッパの多くの絵では、最後の審判は大勢の人が描かれ向かって右の人が裁かれ、左の人が救われているます。ミケランジェロの最後の審判をご覧ください。
これに比べてケーダー師の絵は一人だけです。つまり一人一人の最後の審判があるということ、最後の審判を自分のこととして考えるということです。
彼の衣服は貧しいもので、また道化師の格好をしています。それが消えているということは、そういう衣服が人間の価値を決めるものではないことを示し、そして裸の自分自身というものがさらされるということです。また、彼が仮面を外しているのも、これまで人前でつけていた仮面、自分をごまかしていた仮面、本当の自分ではなく、人から押しつけられたイメージによる自分という仮面を外すことが出来る。そういう仮面を外して神の前に立つということが描かれています。
彼の後ろにある壁は、墓場を囲っている壁です。死を象徴する骸骨の形をしたその壁が壊され、死の力が打ち破られていることが分かります。
彼の顔が包まれている赤い光は、まるでバラの花のようです。ケーダー師の絵ではバラの花が重要な役目を果たしています。そのバラの光の中に描かれているのが、ヨハネ黙示録の「新しいエルサレム」です。その中に花嫁と花婿がいます。聖書では花嫁がエルサレム、花婿はイエスを表します。そして、一つになるという結婚の喜びと確かさの光に、この男の顔、そしてからだは包まれ、その境も分からなくなっています。
最後の審判は、ここでは裁きというよりも、裁きという刀や光で、わたしたちに絡みついているもの(死、偏見、抑圧、疎外、孤独)がそぎ落とされ、ありのままの自分が神の光の中に受け入れられるという「解放」のメッセージが描かれているようです。神の裁きは、わたしたちの一つ一つの悪行に対する怒りではなく、わたしたちをダメにする力に対する怒りではないでしょうか。それを受け入れる人にとっては、わたしたちの縛り付ける鎖を断ち切る斧のようなものです。
今一度、この祭壇画の全体を見てください。もっと多くのメッセージを受け取ることが出来ると思います。この祭壇画の前で説教はいらないかもしれません。
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