2010年9月15日水曜日

ジーガー・ケーダー神父 8 ローゼンベルク教会祭壇画 (7)

ケーダー師の祭壇画を見てきましたが、今一度二つの絵を比べてみてください。


よく見ると、両方の絵の構図が、赤と青の色に導かれて似通っていることに気がつきます。

イエスの誕生の場面には、死を表す十字架

復活を経験した弟子たちの場面には、イエスの死を経験した人たちの姿

最後の審判で解放を経験する場面には、こどもを失って嘆くラケルとその慰め
特に顔は上の神の愛の光の中に包まれていく男の顔とよく似ています。
新しいエルサレムと神の手は色は違うけれども同じもののように見えます。

これはどのように理解し、解釈するかはわたしたちに任されています。

ジーガー・ケーダー神父はこの絵の中で4つの場面を描いています。

(1)旧約聖書の世界、旧約聖書の物語

それが
(2)新約聖書、イエスにおいてどのように成就したか

そして、それが
(3)ドイツ(この地域)の歴史の中どのような意味を持っているのか

そして、最後に
(4)この絵を見ているあなたにとってどのような意味があるかということです
これは、わたしたちに任されている解釈です。

むしろ、わたしたちは(4)からこの絵を理解し始めることが必要かもしれません。つまり、いまのあなたの問題はなんですか。そして、あなたはこの絵のどこに自分自身を見つけますか。そして、それがこの絵への入り口、聖書への入り口になります。

ジーガー・ケーダー神父の絵は、キリスト教の教えや聖書の物語を伝える「信仰的な絵」ではなく、わたしたちの人生の中にイエスを見いだすことができるという彼の信仰の描いたものだと言えます。

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