2010年10月13日水曜日

ハイデルベルクのStolperstein(躓きの石) 2

以前お伝えしたように、10月12日は,ハイデルベルクで最初のStolperstein(シュトルパー・シュタイン、躓きの石)がおかれる日です。

午後2時、ドイツの初代大統領フリードリヒ・エーベルトの生家(現在はエーベルト記念博物館)のホールに集まり、記念の会が催されました。主催者の予測を遙かに上回る、およそ200名を越える人があつまり、立ち見、別室での参加が余儀なくされました。

この会の中で、主催者が,わたしたちの運動の哲学は、
「犠牲者に名前を帰す」
ですと語られたのを非常に印象的に聞きました。

犠牲者は何人でしたと語られる一人一人に名前があります。犠牲者を生み出した自分たちの歴史・社会を反省し、その犠牲者の名前を取り戻そうとするのが、この運動です。

午後3時、最初のStolpersteinが,犠牲者がかつて住んでいた家の前の歩道に置かれました。


このStolpersteinを作成したのは、芸術家でドイツでStolperstein運動を進めているグンター・デミング氏です。

グンター・デミング氏


今回、その名前がStolpersteinに刻まれた人は、ハンリッヒ・フェーレンツ氏です。


ここに住んでいました。
ハンインリッヒ・フェーレンツ
1908年生まれ
1943年に敵国ラジオを聞いたことで逮捕
シュトゥットゥガルト刑務所
1943年12月22日 処刑

フェーレンツ氏は、ユダヤ人というわけではありませんが反ナチ運動に参加しており、いろいろと情報を交換しあうために、隣国のラジオを聞いていたということです。そのことで逮捕され、あっという間に反政府分子として、処刑されたということです。


このStolpersteinが埋められる前に、彼の甥御さんがその想い出、思いを語られました。彼が処刑されたことが家族に伝えられたときの,彼の妻の叫び声が,今も耳に残っておられるとのことでした。

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