2010年11月22日月曜日

ステンドグラス in ハイデルベルク −6−

久しぶりにステンドグラスの話題を。
昨日、11月21日(日)にハイデルベルクのペトロ教会で、このブログでもたびたび紹介しているシュライター氏の新しいステンドグラスの奉献礼拝と記念コンサートが開催されました。
テーマは「聖霊」です。
礼拝では2人の神学部教授によるこのステンドグラスに関する解釈を含む説教が行われました。
朝、礼拝後に撮影したもの
さて、そのステンドグラスを見てください。どのような感想、またどのように解釈されるでしょうか。

聖書の中で、聖霊は次のようなテーマで描かれています。

  • 人間にいのちを与えた「神の息」としての霊
  • 聖霊によってイエスを身ごもったマリア
  • イエスの洗礼において鳩のようにイエスに降ってた聖霊
  • 助け主としての聖霊
  • 弟子たちをこの世界へと使わす聖霊
  • 人々に語る言葉を与える聖霊
  • 分裂しているものを一つにする聖霊
  • 人間に自由を与える聖霊 等々
さて、このステンドグラスからどのような聖霊のメッセージを受け取られるでしょうか。
夜、コンサート前に撮影したもの。外から光をあてています。
礼拝が終わってから、また記念コンサートが終わってから、それぞれに自分の解釈を語り合いました。


  • 下の左右の二つの白い帯は、聖霊を受け止めようとして上に伸ばしている手のようだ。
  • 下の三本の四角は、それぞれの聖霊の受け止め方を描いている。
  • 真ん中の黒い四角はイエスであり、洗礼を受けたイエス、そしてロウソクのように自らのいのちを燃やして(犠牲にして)、人々に光と暖かさ(愛)を与えているイエスのようだ。そしてその光によって横の2人が復活の光(白)と聖霊(赤)にあずかっている。


というものがありました。そういう解釈を語っていると、新約学者のタイセン教授、彼のおつれあい、シュライター氏も加わってきて話が盛り上がりました。その中で9月に日本を訪問されたタイセン夫人が「このステンドグラスはまるで日本の障子のように見える」と語られたのがとても印象的です。日本人のわたしたちが無意識の中で、ドイツのステンドグラスと日本の障子との繋がりを排除していたのに対して、自由になされた発想はとても新鮮で、刺激的で印象的でした。

解釈に正解はありません。みなさんはどのように解釈されますか。色の意味、形の意味、みなさんの人生経験を通して解釈してみてください。

2 件のコメント:

  1. 上部の矢印が面白いですね。下向きのベクトルを表しているというか。文字通り「上からの恵み」って感じにも見えました。それってあんまり直接的すぎる解釈でしょうか(苦笑)

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  2. ぬまさん
    その通りですね。下向きのベクトルは神学的にも非常に重要です。その矢印の上にあるものはどう思いますか。

    ドイツ人の解釈を聞いていて、日本人と違うなあと思うことは、自信です。そんなに優れた解釈ばかりではありませんが、自信を持って語られるところに、魅力を感じますし、また対話も生まれてきます。
    ひょっとしたら間違っているかもという不安を抱くのではなく、もっと自信と解釈する喜びをもって見ていくと、もっといろいろなものが見えてきますよ。実は、わたしもこの日本人特有の(?)自信のなさ、間違っていることへの不安感と闘っています。

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