2014年8月18日月曜日

白馬三山 -3- 杓子岳から白馬鑓ヶ岳へ

2日目は、白馬岳から出発して白馬三山の杓子岳から白馬鑓ヶ岳を通り、鑓温泉小屋に向かいました。

今回の登山で何が嬉しかったかというと、「素晴らしい天気」の一言に尽きます。雨がぱらつくことやガスの中を歩くこともありましたが、総じて素晴らしい天候でした。晴れ渡り、澄み切った空気によって、360度見渡すこともでき、遠くに富士山さえ見ることができます。雲の上、広い世界の中、小さな自分を感じながらも、そんな自分が今ここを一歩一歩歩いているわけです。


標高2812mの杓子岳は岩石に覆われたガレ場という斜面を歩いて行きます。丁寧に歩かないと自分が転ぶだけではなく、石が下に落ち人にケガをさせる緊張する道です。階段を跳ね上がっていくというよりも、一歩一歩足を前に出し、体重を移動していくように登っていきます。「一歩進めば、一歩近づく」という言葉を頭の中で繰り返しながら、急な斜面を登っていきます。


次に標高2903mの白馬鑓ヶ岳を目指していきます。せっかくここまで登ったのにまた降り、そこからまた登るのか。登ったままだと楽なのに、と思うのですが、この上り下りを繰り返しながら、山々を乗り越えていきます。それも一歩一歩でしか進んでいけません。"climb every Mountain"というのは、Sound of Musicの曲ですが、そんな歌が頭の中でよみがえってきます。
"A dream that will need All the love you can give
Everyday of your life For as long as you live
Climb every mountain Ford every stream 
Follow every rainbow Till you find your dream"

白馬鑓ヶ岳から、ガスの中へと降っていくのですが、結構この下り坂が、登り坂のように心臓や肺には負担がかからないのですが、足の筋肉に疲労がたまってきます。


そんな山道でわたしたちを癒してくれるのがきれいな高山植物です。その一つ一つに目をとめながら、白馬鑓温泉小屋へと向かっていきます。


朝の6時30分に出発し、12時30分には鑓温泉小屋に到着しました。この鑓温泉小屋は2100mに位置しますが、何よりもここには温泉が湧き出て、汗を流し、疲れた身体を癒してくれます。混浴の露天風呂と女性用の内風呂があるのですが、露天風呂は下のテント場や周りから丸見えで、お風呂に入っている人よりも周りの人の目のやり場に困るのが玉にきずです。とにかく、この温泉にゆっくりとつかり、身体も心も癒され、次の日の最後の山歩きに備えます。


(つづく)




2014年8月17日日曜日

白馬三山 -2- 白馬岳にて

白馬三山で最初に泊まった白馬山荘は800名収容という日本最大規模の山荘です。その歴史も古く、1905年に建てられたのですから100年近くの歴史があります。スカイラウンジでビールやコーヒーを飲みながら、山小屋建設のために畳3枚を背負って歩荷する歴史を物語る写真の展示を見ると時代の流れを感じました。

写真を撮り忘れたのですが、今回の山小屋としては豪華スペシャルルームでの宿泊をすることができました。何と2畳の2人部屋個室です。登山で一番悩まされるのが山小屋での宿泊です。以前富士山では一枚の敷き布団と掛け布団で見知らぬ人と2人で寝たこともありました。しかも、狭い山荘の中には他に居場所がないので、この布団の中か外にいるしかありません。それを思えば夫婦でそれぞれ畳一畳と布団一組の個室で寝られるのはまさに天国です。

ただ、この山小屋でテンションがた落ちの事実が判明。近視の度付きサングラスをかけて登山しており、遠近両用ハイブリッドメガネはメガネケースに入れてリュックの中に入れています。そのメガネケースがない。荷物をすべて出して、くまなく探しても、ない、ない、ない。身体は2900mにいるのに、頭の中はペンションの部屋にまで降り、休憩した場所、レインスーツを着た雪渓などすべての行程を駆け巡っていました。

電話していくつかのところに聞いてみましたが、ない、ない、ない。まるで2900mの絶景の山から真っ暗な海底1000mにまで落ちていったような気分です。

いくら考えてもないものはない。どっちみち山では遠くは見るけど、机に座って小さな文字を読むことはないので、気分を切り替えてサングラスで生活することにしました。ただ気分のせいか、サングラスのせいか、世の中ちょっと暗い。

山荘に重いリュックを置いて身軽なカッコで2932mの白馬岳まで登りました。白馬山荘、白馬岳からは周囲の山々が360度見渡すことができます。


剱岳などの立山連峰を見ると、いつかあそこに行けるだろうかと胸が躍ってきます。

一夜明けて、4時半にはご来光を見ようと多くの人がすでに山小屋の外に出ています。
とにかく、8月12-14日は珍しく快晴で本当に素晴らしい天気でした。1日の疲れを癒してくれそうな夕日とは違って、朝日はすがすがしい力を持ち、山々の自然にパワーを送り込んでくれているようでした。


さて、朝食も食べ、お弁当ももらって、目の前の杓子岳、白馬鑓ヶ岳に出発です。

左の台形の山が杓子岳、その奥の尖ったのが白馬鑓ヶ岳
(つづく)


2014年8月16日土曜日

白馬三山 -1- 猿倉から白馬岳へ

約1年ぶりのブログ投稿。

山歩きを始めて約2年になります。昨年は、富士山に登りましたが、今年は北アルプスを代表する白馬三山(しろうまさんざん)に挑戦しました。「挑戦」というほど大げさなものではありませんが、いつもは900mほどの六甲山を歩いている者にとっては、2900m級の山に登るのは一つの大きな経験です。

白馬で前泊し、早朝、猿倉登山口を出発し、1日目は白馬岳(しろうまだけ)、2日目は杓子岳(しゃくしだけ)と白馬鑓ヶ岳(はくばやりがだけ)を通って鑓温泉小屋、3日目に再び猿倉に下山するという、まあいわゆるお決まりのある意味贅沢でゆっくりとしたコースです。

7月の台風で橋梁が流出したため、約1ヶ月ほど不通となっていた中央本線特急「ワイドビューしなの」が8月6日から運転再開したものの、今度は台風11号・12号の様子を見ながら、毎日変わる山の週間天気予報をチェックしながら、山小屋のキャンセル・予約を数回繰り返し、ようやく出発いたしました。

前泊したのは1998年の長野冬季オリンピックのジャンプ競技の舞台となった白馬ジャンプ競技場の近くのペンション「The Lodge シオン」。アットホームで、ゆっくりとくつろげる雰囲気のペンションです。

朝5時30分にペンションの方に送っていただいて、猿倉登山口へ。そこにはすでに大勢の登山客が登山を前に、登山届けを出したり、装備を調えたりして準備中です。

猿倉を出発し、しばらく山道を歩くと、車が一台ほど通れる道を通り、再び山道に入り白馬尻小屋まで、生息する植物の変化を楽しみながら3.4kmほど歩きます。


白馬尻小屋を経て、全長3.5km、標高差600mもある日本最大の大雪渓を登っていきます。アイゼンをつけ、ゆっくりと歩き、途中雨も降ってきましたが約2時間弱で白馬岳への本格的登山ルートに入っていきます。


登山ルートに入ると、「お花畑」と呼ばれるほど様々な高山植物が咲くところを登っていきます。小さな花ですが、その美しさが登山の疲れを癒してくれます。


標高1250mの猿倉を出発して、途中休憩したり、写真を撮ったりしてゆっくりと歩き、6時間で標高2832mにある日本最大の山岳宿舎白馬山荘に到着。800人を収容する施設だけあり、他の小さな山小屋と比べて格段の施設が充実しています。レストラン・スカイプラザから眺める景色は最高で、夕日を眺めながらくつろぐのはまさに贅沢の極みといっていいでしょう。しかし、物資を3000mまでヘリコプターで運んでいるのですから、値段もそれなりの高めですが。


(つづく)




2013年9月18日水曜日

チェンマイYMCA訪問 8 ちょっと閑話、市場 (2)

市場話の続き。

色々な訪問や歓迎会の合間に買い物に出かける時間もあり、チェンマイの人々の生活に少しだけ触れることができました。

市場(マーケット、バザール)というと、喧騒の中、狭いところにたくさんのものが山積みされ、そこを荷物を運ぶ車が行き交いっているイメージがありますが、まさにそんなイメージ通りの市場が、チェンマイの中心にあるフレッシュ・マーケット(生鮮市場)でした。生鮮食料品だけではなく、衣服の一角、造花の一角などタイの生活を支えるものが所狭しとひしめき合っています。わたしたちは1時間ほどしか時間がなかったのですが、タイ初心者のわたしにとっては十分な感じでした。幻惑されるような雰囲気とその大きさ、ものの多さ、喧騒に目眩を感じそうな雰囲気でした。

名物のソーセージに群がる人々
各種類のドライフルーツ
カイコの唐揚げ?
甘いちまき、ういろうのような米菓子
さすが仏教の国。でも同じような顔でコスチュームを変え、羽根をつけた天使をドイツで見た感じがします。
2階以上は衣料品コーナー
2階からみたところ

外の様子

2013年9月17日火曜日

チェンマイYMCA訪問 7 歓迎、歓迎、大歓迎

今回のチェンマイYMCA訪問の一つの目的として、過去のワークキャンプで神戸とチェンマイの青年たちが協力して造ったいくつかの施設を訪問し、その成果、現在の様子を視察するということがありました。

まず、最初に向かったのが、チェンマイからおよそ250kmほど離れたファイサイ村にある学校です。2013年3月、神戸から6名若者がこの村の人々のところでホームステイし、この学校の情報技術学生センター(コンピューター・センター)の建設を手伝いました。

学校に近づくと、校門周辺にこどもたちが列になってわたしたちを待っていてくれました。わたしたちがバスから降りると、鼓笛グループが音楽を演奏し始め、天女のような格好をした2人の女子学生が歓迎の踊りを踊ってくれました。



コンピューター・センターの前に設置された式典会場に案内され、お茶やお菓子が出されました。そこには、先生方はもちろんのこと、村の人々、特にホームステイをした家の人たちが集まってくれていました。

歓迎の踊りから始まり、学生たちの手作りのプレゼント、校長先生のスピーチ、学生のスピーチ、神戸YMCAからの贈り物とスピーチが行われました。

このコンピューター・センターには8台ほどのコンピューターが設置されており、学生たちが歴史や文化などの情報をインターネットで調べ、自分のノートに情報を書き写していました。ちょっと、先生の指示でやっている感じもありましたが、それぞれの事情もあることでしょう。



続いて、トンプラウ村の学校へ移動しました。この村の学校では、2010年に神戸、タイ、ベトナム、シアトルの青年たちが障がい児学級のための施設の建設を手伝いました。この様な障がい児教育施設はタイでも珍しく、モデルケールとして注目されているようです。

後の明かりがついている建物がその施設です。

こちらも到着すると、大勢の学生、先生、村の人たちが集まっていました。こちらも同じく歓迎の踊り、演奏でわたしたちの歓迎レセプションが始まりました。

その歓迎の踊りの中で踊られた「剣の舞」が興味深かったです。それはなぜ歓迎の踊りに剣が使われるかということです。古来、自分たちの共同体に外からやって来る人(外国人、異民族、旅人)は、客か、商売人か、敵でしかありません。もちろん敵を歓迎するということはありませんが、いずれの外来者は敵になる可能性があり、自分たちの中で友好な客人である限りは歓迎するが、さもなければこの剣がお前を成敗するというメッセージがこの踊りには込められている。宣教師を受け入れるときにもこの様な踊りがなされたということです。そんな、民俗学の話を聞いたことがあります。もちろんそれを現在も意識的に行っているわけではありませんが、そのようなメッセージが米らえた踊りが現在も行われていることが興味深かったです。


校庭での歓迎の踊りの後、学校の集会室に案内されると、舞台、手作りの飾りといわゆる日本の小さなちゃぶ台のようなものが用意されていました。わたしたちは小さなグループに分かれてそれぞれのテーブルに案内され、先生方がわたしたちを接待してくださいました。



そこから、また歓迎の踊り、そして食事が恭しく運ばれてきて、そして、踊り、歌(学生たちによる歌謡ショー)、スピーチ、プレゼントなど、次から次にとプログラムが用意され、2時間ほどのレセプションが、歓声と笑いと共に、あっという間に終わっていきました。

本当に口には表現できない歓迎で、まるで浦島太郎が竜宮城で受けた歓迎のような一時でした。

次の日、今度はメーハン村のチャイルドケアセンターに向かいました。ここは1998年に青年たちがこの託児施設の建設に携わりました。経済的に豊かではない村ですが、この村のこどもたちの福祉のために役立っている施設です。


どの施設も日本のものと比べてお世辞にも立派なものとはいえないでしょう。また、タイの都市部のものとも比べものにはなりません。しかし、この村の人々にとってはとても重要な施設であり、本当に喜びを表現してくれました。わたしたちも報告書や写真で見ていただけでしたが、完成した建物やその施設が実際に使われ、活かされているのを見るのはなんとも感慨深いものです。

そして、なによりも、名も知らないわたしたちを心から歓迎している、最高のもてなしをしてくれたこどもたちや学校、村の人々の姿には涙がこぼれそうな思いになりました。

ただ、この土地の文化の表現として本当に素直にもてなしてくださったことを感謝する一方で、こんなことをこどもたちにしてもらわなくてもいいのに、踊りや歌よりも話をしてくれる方がいいのに、という複雑な思いがあり、手放しで喜べたわけではありません。

ホストファミリーも言葉も十分に通じす、決して日本人の若者にとって快適な居住・生活空間とはいえないと思いますが、彼らは数年後お世話になったホストファミリーをまた訪れているいるのを聞くと、彼らにとってもここでの出会いと学びがどれほど大きなものであったのかが分かります。言葉と言葉ではなく、こころとこころが出会ったのではないでしょうか。