ドイツ人は几帳面さですかと聞かれれば、几帳面だと答えます。では、日本人とドイツ人ではどちらが几帳面かと問われれば、答えに困ってしまいます。
どちらも几帳面だと思いますが、それぞれこだわるこだわるところが違います。店でものを買って、紙で包装してくれるそのきれいさは断然日本の方が優っています。様々な日常用品の質は断然日本の方が上だと思います。ドイツのサランラップみたいなのは切りにくいし、箱がすぐ壊れる。
しかし、たとえばドイツでは仕事で使った車の経費を清算するのは、車の走行距離積算計で何キロから何キロまで走ったということを記録ノートに付けてそれを提出して申告し、1キロあたりいくらという計算で支払われます。バスも電車も、改札、必ず運転手に支払うということはありません。みんな無賃乗車じゃないのか、ひょっとしてただで乗れるかもという印象を持ちますが、みんなそれぞれ切符や、定期や回数券を持ています。ちなみにドイッチェ・バーン(ドイツ鉄道)では、インターネットで切符を注文して、それを家で印刷して列車に乗ることもできます。
それぞれの国民でこだわるところ、几帳面であるところとないところが違うみたいです。わたしたちにとっては、ドイツ人は妙なところが几帳面であるけれども、えっ、そんなんでいいのと思うぐらいルーズな面もあります。
ドイツの几帳面さを表すものの一つに、ビールグラスやワイングラスなどに付けられたラインです。この線で、何ミリリッターということを表す線で、そこまで入れてくれます。その几帳面さは驚きですし、店で頼んだコーラには氷が入っておらず、その線まで注いでくれます。
2010年にドイツ留学を機に始めた「ドイツ滞在日記」の続きとして、日本の日常生活の中で出会ったり、発見したり、経験した躍躍(やくやく:こおどりしたくなる)ような出来事をお伝えします。
2010年5月7日金曜日
2010年5月6日木曜日
ドイツの誕生日文化
ドイツで何が日本人にとって驚きかというと、ドイツの誕生日文化ではないでしょうか。ドイツ人はこの誕生日というのをとても大切にしています。誕生日だと仕事を休んでもいいとさえいわれています。
この留学期間中に、3つの大きな誕生日パーティーがあります。ドイツ到着の日に出席した元同僚の60歳の誕生日パーティー、それから先日行われたお世話になった2人のディアコニッセの二人(それぞれ80歳)で160歳の合同誕生日パーティー、そして5月の末にはわたしの指導教授夫妻の二人で150歳の合同誕生日パーティーが予定されています。
また、こんなにもタイミング良く、わたしたちがそれぞれお世話になった人たちの記念すべき誕生日に居合わせることができるものだと驚いています。まさに、惑星直列の天文学的偶然性にも匹敵するのではないでしょうか。
まず、誕生日パーティーは誕生日を迎える人が、親しい人を招いて行います。家に招くということもありますが、こういうきりのいい誕生日にはホテルの1室や、教会の集会場を借り切って、行われます。それも盛大な食事を用意し、5時間ぐらい続きます。
そこでは多くの人が出会うチャンスでもあり、互いに親交を深め、お互いの幸せを願うときでもあります。
もちろん招かれた人は、何かしらのプレゼントをもっていきます。そのプレゼントの気が利いているのが、なぜこのプレゼントを贈るかというメッセージです。プレゼントそのものはそんなに高いものではありませんが、そこに込められた思い、ユーモア、贈る人らしさ、贈られた人らしさがそこに表れています。
そして、それぞれが出し物を用意します。自作の詩の朗読、歌、演奏、スピーチなど、たくさんの出し物が用意されていて、飽きることはありません。
飽きるどころか、しゃべる・しゃべる・しゃべる、延々としゃべり続けます。まだ言葉が十分にできなかったときは、これが苦痛だったのですが、徐々に話せるようになると、その輪の中に入っていけます。
さて、先日行われたディアコニッセの誕生日は昼の12時から間に45分の休憩をふくんで6時まで行われました。食べる、しゃべる、歩く、食べる、しゃべると続いていきます。
これが誕生日パーティーが開かれたホテルです。
次にメインディッシュ、上の黄色いのがこの地方の名物パスタ(シュペッツレ)
最後にデザート
もうこれでお腹いっぱい!
それでも、45分ほど散歩をしてから(菜の花畑を散歩)
この大きさ(日本のケーキの1.5倍ぐらい、直径30cmのケーキ)、種類の多さ(写真以外にもあと数種類)、食べ放題(一人2−3種類)、何とも至福の時間です。胃袋に限界があるのが残念なぐらいです。
6時になって、ようやく片付けも終わったところで、80歳のディアコニッセとわたしたちと他の2人で「夕食どうする?」。えーっ、まだ食べるのといいたいところですが、じゃあ、レストランへ行こう ということになりました。
この体力についていけないと、ドイツでは生きていけません!?
そこで、また食べる、食べる、しゃべる、しゃべる。まあ、本当に胃袋も語学力も鍛えられます。そして、80歳の女性が、何でもぺろりと食べてしまう、その食欲とエネルギーには驚かされます。ただ、太りすぎているとは思いますが。
夕食には今が旬の白アスパラ(シュパーゲル)。この春を逃すと、もう次の春までありません。もう一生食べられないかと思うと、思わず別腹が・・・。
実は、わたしたち夫婦は今年で合わせて100歳。こんな誕生日文化の中でどうしましょうか・・・?
この留学期間中に、3つの大きな誕生日パーティーがあります。ドイツ到着の日に出席した元同僚の60歳の誕生日パーティー、それから先日行われたお世話になった2人のディアコニッセの二人(それぞれ80歳)で160歳の合同誕生日パーティー、そして5月の末にはわたしの指導教授夫妻の二人で150歳の合同誕生日パーティーが予定されています。
また、こんなにもタイミング良く、わたしたちがそれぞれお世話になった人たちの記念すべき誕生日に居合わせることができるものだと驚いています。まさに、惑星直列の天文学的偶然性にも匹敵するのではないでしょうか。
まず、誕生日パーティーは誕生日を迎える人が、親しい人を招いて行います。家に招くということもありますが、こういうきりのいい誕生日にはホテルの1室や、教会の集会場を借り切って、行われます。それも盛大な食事を用意し、5時間ぐらい続きます。
そこでは多くの人が出会うチャンスでもあり、互いに親交を深め、お互いの幸せを願うときでもあります。
もちろん招かれた人は、何かしらのプレゼントをもっていきます。そのプレゼントの気が利いているのが、なぜこのプレゼントを贈るかというメッセージです。プレゼントそのものはそんなに高いものではありませんが、そこに込められた思い、ユーモア、贈る人らしさ、贈られた人らしさがそこに表れています。
そして、それぞれが出し物を用意します。自作の詩の朗読、歌、演奏、スピーチなど、たくさんの出し物が用意されていて、飽きることはありません。
飽きるどころか、しゃべる・しゃべる・しゃべる、延々としゃべり続けます。まだ言葉が十分にできなかったときは、これが苦痛だったのですが、徐々に話せるようになると、その輪の中に入っていけます。
さて、先日行われたディアコニッセの誕生日は昼の12時から間に45分の休憩をふくんで6時まで行われました。食べる、しゃべる、歩く、食べる、しゃべると続いていきます。
これが誕生日パーティーが開かれたホテルです。
そこで出された料理を少し紹介しますと、
まずスープ
そしてサラダ
次にメインディッシュ、上の黄色いのがこの地方の名物パスタ(シュペッツレ)
最後にデザート
もうこれでお腹いっぱい!
それでも、45分ほど散歩をしてから(菜の花畑を散歩)
ケーキ、ケーキ、ケーキ・・とコーヒー
この大きさ(日本のケーキの1.5倍ぐらい、直径30cmのケーキ)、種類の多さ(写真以外にもあと数種類)、食べ放題(一人2−3種類)、何とも至福の時間です。胃袋に限界があるのが残念なぐらいです。
6時になって、ようやく片付けも終わったところで、80歳のディアコニッセとわたしたちと他の2人で「夕食どうする?」。えーっ、まだ食べるのといいたいところですが、じゃあ、レストランへ行こう ということになりました。
この体力についていけないと、ドイツでは生きていけません!?
そこで、また食べる、食べる、しゃべる、しゃべる。まあ、本当に胃袋も語学力も鍛えられます。そして、80歳の女性が、何でもぺろりと食べてしまう、その食欲とエネルギーには驚かされます。ただ、太りすぎているとは思いますが。
夕食には今が旬の白アスパラ(シュパーゲル)。この春を逃すと、もう次の春までありません。もう一生食べられないかと思うと、思わず別腹が・・・。
実は、わたしたち夫婦は今年で合わせて100歳。こんな誕生日文化の中でどうしましょうか・・・?
2010年5月1日土曜日
ステンドグラス in ハイデルベルク −1−
ドイツに来てもう1ヶ月が経ってしまいました。なんだかあっという間に時間が過ぎてしまい、このまま1年が終わってしまうのだろうかという不安さえ感じます。
昨日のバッハ・ゼミでも、神の福音をバスが歌うことでそのメッセージが根底的なことであることを訴え、ソプラノとアルトが同じ言葉を繰り返し繰り返し螺旋的に歌うことによって、不安と瞑想を物語っていることを学びました。感覚的で体感的なことが礼拝の中で非常に大切な役割を持っています。
一般の人が教会と聞いて思い浮かべるものの一つがステンドグラスではないでしょうか。そして、多くの人がそのステンドグラスにある一定のイメージを描いていると思います。そこには聖書の中の一場面、聖書の中に出てくる人物特にイエスやマリヤが描かれているというイメージを持ちます。おそらくこんな感じ(右上、右横)ではないでしょうか。
現代に新しくステンドグラスが作られるとき、もはやこのようなステンドグラスのイメージで作られることはまれになってきました。
これらのステンドグラスは、その時代の神学やメッセージに従ってつくられたものです。現代は現代において何を伝え、何を後世に残していくのかということが問われなければなりません。ただ単に何となく教会ぽいということだけではお金をかけても内容的に安っぽいものになってしまいます。
さて、前回ご紹介した聖霊教会は、非常に長い伝統のある教会ですが、そのステンドグラスは非常に現代的なものです。それが、前回のドイツの荘厳な礼拝堂とアフリカのコーラスが独特なハーモニーを醸し出しているように、古いゴシック様式の外見と新しいステンドグラスが結びつき、わたしは最初見たときには感激さえ覚え、その前に立ち尽くしました。また、こういうことがどうして日本でできないのだろうと、悔しささえ覚えました。
この教会に入って最初に右手に見るのが、このステンドグラスです。
さて、このステンドグラスに何を見いだすでしょうか
まず、下から見ていきますと、
・6. 8 .1945 (1945年8月6日)という日付
・赤く壊れていくような球体
・その右上には E=mc2という数式
もちろんお分かりかと思いますが、
・広島の原爆の日付
・その原爆の力とその悲惨さによって壊れていく地球、もしくは原爆によるキノコ雲のようです
・そしてその原爆を生み出すきっかけとなったアインシュタインの公式
つまり、このステンドグラスのモティーフは羊を肩に担いだ牧歌的なイエスの姿でもなく、またファンタジックな天使たちの姿でもありません。
世界の現実の姿がここに描かれていますし、単に歴史的な出来事を物語っているのではなく、未来に対する警告を発しています。
しかし、それは単に社会的な問題に描いているのではなく、その上には二つの聖書の箇所が書かれています。
上部に書かれているのが、
「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。」(2ペテロ3:10)という新約聖書の言葉。
そして、その下に書かれているのが、
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる。」(イザヤ54:10)という旧約聖書の言葉です。
さて、この言葉は何を意味しているのでしょうか。
ペテロの言葉は、終わりの日における神の裁きの言葉です。そして、「天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし」という言葉は、まさに広島の原爆の熱線と暴風の恐ろしい力を思わせる言葉です。そしてそれは現代のわたしたちに対する預言者的な警告の言葉です。
この言葉とは対照的に、イザヤ書の言葉は、神の憐れみの言葉です。どんなことがあっても、神の慈しみはわたしたちから離れないということです。
現代のわたしたちはこの二つの言葉を聞かなければならいというメッセージです。そして、お気づきになったでしょうか。この言葉が、中途半端に右にずれています。これはこの言葉が外から(←)入ってきていることを示しています。つまり、この言葉は人間自ら語る言葉ではなく、「救いは外から来る」という宗教改革の精神を示しています。この言葉が人間の外から、つまり神によって語られたものであり、人間の中に入ってきているということを表しています。

まだまだ、このステンドグラスには様々なシンボル(秘密)が隠れています。それを見つけてみてください。形、色、場所様々に意味を持っています。
たとえば、聖書の言葉の最後に、3個の同じシンボルが描かれています。それはいったい何だと思いますか。考えてみてください。
ドイツに来て楽しみの一つは、教会の中に身を置くということです。歴史のある教会堂、パイプオルガンや他の楽器の響き、賛美歌・コーラスのハーモニー、リタージカルな礼拝の雰囲気、ステンドグラスを通して差し込んでくる光またその光が届いていない暗がりの中に身を置くことで、充実感と癒しを感じます。これらは説教を理解するという理性的で知的なこととは違って、感覚的で体感的なことです。しかし、これがどれほど多くのことをわたしたちに語りかけてくれるでしょうか。
昨日のバッハ・ゼミでも、神の福音をバスが歌うことでそのメッセージが根底的なことであることを訴え、ソプラノとアルトが同じ言葉を繰り返し繰り返し螺旋的に歌うことによって、不安と瞑想を物語っていることを学びました。感覚的で体感的なことが礼拝の中で非常に大切な役割を持っています。その中の一つのステンドグラスがあります。ステンドグラスは、それを見る人に聖書のメッセージを伝えると共に、色と光の作用によって、教会の中に静けさとまた思索する刺激を与えてくれます。夜は暗闇の中歩む人たちに教会の中からステンドグラスを通して発せられる光と色が安らぎと安心感を与えてくれます。
そのステンドグラスも時代と共に変化しています。特にこのブログではハイデルベクルの現代のステンドグラスについていくつか紹介したいと思っています。
一般の人が教会と聞いて思い浮かべるものの一つがステンドグラスではないでしょうか。そして、多くの人がそのステンドグラスにある一定のイメージを描いていると思います。そこには聖書の中の一場面、聖書の中に出てくる人物特にイエスやマリヤが描かれているというイメージを持ちます。おそらくこんな感じ(右上、右横)ではないでしょうか。
現代に新しくステンドグラスが作られるとき、もはやこのようなステンドグラスのイメージで作られることはまれになってきました。
これらのステンドグラスは、その時代の神学やメッセージに従ってつくられたものです。現代は現代において何を伝え、何を後世に残していくのかということが問われなければなりません。ただ単に何となく教会ぽいということだけではお金をかけても内容的に安っぽいものになってしまいます。
さて、前回ご紹介した聖霊教会は、非常に長い伝統のある教会ですが、そのステンドグラスは非常に現代的なものです。それが、前回のドイツの荘厳な礼拝堂とアフリカのコーラスが独特なハーモニーを醸し出しているように、古いゴシック様式の外見と新しいステンドグラスが結びつき、わたしは最初見たときには感激さえ覚え、その前に立ち尽くしました。また、こういうことがどうして日本でできないのだろうと、悔しささえ覚えました。
この教会に入って最初に右手に見るのが、このステンドグラスです。
さて、このステンドグラスに何を見いだすでしょうか
まず、下から見ていきますと、・6. 8 .1945 (1945年8月6日)という日付
・赤く壊れていくような球体
・その右上には E=mc2という数式
もちろんお分かりかと思いますが、
・広島の原爆の日付
・その原爆の力とその悲惨さによって壊れていく地球、もしくは原爆によるキノコ雲のようです
・そしてその原爆を生み出すきっかけとなったアインシュタインの公式
つまり、このステンドグラスのモティーフは羊を肩に担いだ牧歌的なイエスの姿でもなく、またファンタジックな天使たちの姿でもありません。
世界の現実の姿がここに描かれていますし、単に歴史的な出来事を物語っているのではなく、未来に対する警告を発しています。
しかし、それは単に社会的な問題に描いているのではなく、その上には二つの聖書の箇所が書かれています。
上部に書かれているのが、
「主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。」(2ペテロ3:10)という新約聖書の言葉。
そして、その下に書かれているのが、
「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる。」(イザヤ54:10)という旧約聖書の言葉です。
さて、この言葉は何を意味しているのでしょうか。
ペテロの言葉は、終わりの日における神の裁きの言葉です。そして、「天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし」という言葉は、まさに広島の原爆の熱線と暴風の恐ろしい力を思わせる言葉です。そしてそれは現代のわたしたちに対する預言者的な警告の言葉です。
この言葉とは対照的に、イザヤ書の言葉は、神の憐れみの言葉です。どんなことがあっても、神の慈しみはわたしたちから離れないということです。
現代のわたしたちはこの二つの言葉を聞かなければならいというメッセージです。そして、お気づきになったでしょうか。この言葉が、中途半端に右にずれています。これはこの言葉が外から(←)入ってきていることを示しています。つまり、この言葉は人間自ら語る言葉ではなく、「救いは外から来る」という宗教改革の精神を示しています。この言葉が人間の外から、つまり神によって語られたものであり、人間の中に入ってきているということを表しています。

まだまだ、このステンドグラスには様々なシンボル(秘密)が隠れています。それを見つけてみてください。形、色、場所様々に意味を持っています。
たとえば、聖書の言葉の最後に、3個の同じシンボルが描かれています。それはいったい何だと思いますか。考えてみてください。
2010年4月27日火曜日
桜の木の下で
先週の金曜日、ハイデルベルクに住む以前日本で宣教師として働き、現在はDOAM(Deutsche Ostasien Mission)の会長をされているシュナイス牧師としばし、コーヒーとケーキをいただきながら、お話しをさせていただきました。
ハイデルベルクのメインストリートに面するカフェの中に入ってみると奥には庭があり、オープン・カフェになっています。優しい太陽の光と桜の木の下で、2時間ほどいろいろな話をいたしました。
シュナイス牧師は特に日本のキリスト者が平和についてどんな発言をし、どのような影響を与えたかドイツの人たちに伝えたいと思っておられます。しかし、その情報がとても少なく、ドイツではなかなか手に入らないのでぜひ協力してほしいということでした。
彼が嘆いたこととの一つに、日本の教会とドイツの教会が協力しあって、もっとお互いの問題を話し合い、またそこに共通の宣教の課題を見いだしたいと思っているけれども、日本の教会はわたしたちに何の発信もしてくれないし、リクエストも少ない。日本の教会はこうした国際的でエキュメニカルな教会同士の関係をどう考えているのだろうかということでした。確かに、日本の教会は内向きになり、自分たちの内部の問題で紛糾し、外に積極的に働きかけようとしていないように思えます。もちろん、言葉の問題もあり、人材の問題もあり、誰が情報の発信を担い、またカウンターパートナーとなって教会間の関係を担っていくのかということが問われてきます。
いまはお金の問題で、教会の国際的な交流も少なくなってきています。ドイツの宣教局も段々と縮小され、ポストもお金も削減されていっています。ますます人的な交流が少なくなって、2,3泊の教会協議会か、インターネット時代を象徴する情報の交換だけが主たるものになってしまいます。
こんなドイツを象徴する教会の横で、そして日本を象徴する桜の木の下で、ゆっくりとお互いの問題を話し合えるような関係が、続いていくことを願っています。そのために、シュナイス牧師にしろ、わたし自身にしろ、何年かそれぞれの国に住み、その教会で働かなければできないこともたくさんあるように思います。
ぜひ、このブログを読んでおられる方も、何らかの形でドイツに興味を持ってくださり、次の時代の架け橋となってほしいと願っています。
ハイデルベルクのメインストリートに面するカフェの中に入ってみると奥には庭があり、オープン・カフェになっています。優しい太陽の光と桜の木の下で、2時間ほどいろいろな話をいたしました。シュナイス牧師は特に日本のキリスト者が平和についてどんな発言をし、どのような影響を与えたかドイツの人たちに伝えたいと思っておられます。しかし、その情報がとても少なく、ドイツではなかなか手に入らないのでぜひ協力してほしいということでした。
彼が嘆いたこととの一つに、日本の教会とドイツの教会が協力しあって、もっとお互いの問題を話し合い、またそこに共通の宣教の課題を見いだしたいと思っているけれども、日本の教会はわたしたちに何の発信もしてくれないし、リクエストも少ない。日本の教会はこうした国際的でエキュメニカルな教会同士の関係をどう考えているのだろうかということでした。確かに、日本の教会は内向きになり、自分たちの内部の問題で紛糾し、外に積極的に働きかけようとしていないように思えます。もちろん、言葉の問題もあり、人材の問題もあり、誰が情報の発信を担い、またカウンターパートナーとなって教会間の関係を担っていくのかということが問われてきます。
いまはお金の問題で、教会の国際的な交流も少なくなってきています。ドイツの宣教局も段々と縮小され、ポストもお金も削減されていっています。ますます人的な交流が少なくなって、2,3泊の教会協議会か、インターネット時代を象徴する情報の交換だけが主たるものになってしまいます。こんなドイツを象徴する教会の横で、そして日本を象徴する桜の木の下で、ゆっくりとお互いの問題を話し合えるような関係が、続いていくことを願っています。そのために、シュナイス牧師にしろ、わたし自身にしろ、何年かそれぞれの国に住み、その教会で働かなければできないこともたくさんあるように思います。
ぜひ、このブログを読んでおられる方も、何らかの形でドイツに興味を持ってくださり、次の時代の架け橋となってほしいと願っています。
2010年4月22日木曜日
アフリカン・コア in 聖霊教会
先日の日曜日、4月18日は、街の中心にある聖霊教会に行ってきました。
この教会は、1398年から1515年の間、100年以上もかけて作られた教会です。ハイデルベクルは1556年にルター派になり、その後カルバン派にあらため、その後カトリック化されるという非常に希な歴史を経験しています。そのため、住民はプロテスタント信者と、カトリック信者が混在しており、1706年から1936年まではこの聖霊教会の奥の部分(内陣、聖歌隊席)はカトリック教会、長い部分(会衆席)はプロテスタント教会が使用しており、その境には壁が設けられていました。1936年にプロテスタント教会の所有となり、現在に至っています。
歴史豊かで、また大きく、荘厳なこの教会は観光名所の一つになっています。
内部の装飾やシンボル、ステンドグラスについてはいずれまたお伝えします。これがまたおもしろいんです。
もちろんこの教会にも信徒はいて、日曜日には11時から礼拝がまもられています。
18日の礼拝は南アフリカのハイデルベルクという町のLesedi Show Chorという教会コーラスグループが礼拝の中で歌うという特別な礼拝でした。
基本的にドイツの教会の礼拝では写真を撮ることが好まれていません。ビデオ撮影もしません。日本の教会のように誰かがパチパチと写真を撮っているようなことはないのです。ただ、日本の神学部の学生たちの"教育と研究"のためにドイツの礼拝を見せてあげたいという思いで、勇気を振り絞って牧師に頼み、「あまり目立たないところでしたらいいですよ」という許可をもらいました。
あまり目立たない、けれども礼拝の様子をとれる場所を確保し、大きなスタンドをもっていくと目立つので、教会の椅子に付けるような小さなスタンドで、スタンバイ・オッケー!
するとわたしの前に3人の子ずれのお母さんが、「ここ、ここ、ここが良いわよ。ハイ、早く座って」と、やってくるではないですか。
「チョット、チョット、チョット、ここはわたしが撮影するために見つけたベストポジション、その前に座られては困ります」とも言えず、しかたがなくちょっとずらしてみるものの、この家族が邪魔。こどもはチョロチョロ動くし、立ったり、座ったり。「あー、せっかくのチャンスが」と思いつつも、この家族は何も悪いことはありません。本来礼拝を守ることが中心で、撮影は二の次ですから、何とか工夫して撮影しました(下の映像に出てくる家族ですよ↓)。
コーラスが、礼拝の中で、4回。ドイツの荘厳は雰囲気とは全く違うアフリカのリズムとメロディー、聞き慣れないズールー語の響きが違和感というよりも、まさに聖霊の働きによって、世界の教会がこの礼拝堂の中でシンフォニーを奏でているような心地よさを感じました。
ドイツ人の会衆も、牧師が用意したアフリカの歌を礼拝の中で歌おうと努力しているのですが、パイプオルガンはどうも合いません。「サンテサナ イェス」という歌を歌ったのですが、本来は手拍子をして、からだを動かしながら、踊りながら歌うような曲ですが、パイプオルガンの伴奏がつくと、「サ〜ン テ〜 サ〜ナ〜 イェ〜ス〜♪」というような感じになってしまいます。まあ、太鼓や打楽器をもってこないとダメですね。
礼拝では、聖餐式が祝われました。大きなサークルを作り、パンと葡萄酒(白ワイン)を受けます。最後は手をつないで、祈り、Laudate omnes gentes(すべての人よ、主をたたえよ)という歌を歌いながら、席に帰って行きました。
もっといろいろと報告したいことがありますが、百聞は一見にしかず、映像で見てください。ただ、4回のコーラス、聖餐式で、90分の礼拝になり、電源コードをつないでなんてこともできないので、最後のほうはバッテリーが0。何とか祝祷まではとれました。
90分の礼拝を10分ほどにまとめましたので、分かりづらいところもありますが、ドイツに来なくても少しだけ、ドイツの教会の雰囲気を味わってください。
礼拝出席は、80人ぐらいだったでしょうか。
さて、みなさんに課題です。ドイツの教会の礼拝と、日本の教会の礼拝と、どこがどう違うでしょうか。気づいた点をコメントに書いてくれたら、礼拝学の単位がもらえるというようなことはありませんが、嬉しいです。
たとえば、高いところにある説教台、説教者の頭の上には何がありますか。それは何を意味しているのでしょうか。
この教会は、1398年から1515年の間、100年以上もかけて作られた教会です。ハイデルベクルは1556年にルター派になり、その後カルバン派にあらため、その後カトリック化されるという非常に希な歴史を経験しています。そのため、住民はプロテスタント信者と、カトリック信者が混在しており、1706年から1936年まではこの聖霊教会の奥の部分(内陣、聖歌隊席)はカトリック教会、長い部分(会衆席)はプロテスタント教会が使用しており、その境には壁が設けられていました。1936年にプロテスタント教会の所有となり、現在に至っています。
歴史豊かで、また大きく、荘厳なこの教会は観光名所の一つになっています。
内部の装飾やシンボル、ステンドグラスについてはいずれまたお伝えします。これがまたおもしろいんです。
もちろんこの教会にも信徒はいて、日曜日には11時から礼拝がまもられています。
18日の礼拝は南アフリカのハイデルベルクという町のLesedi Show Chorという教会コーラスグループが礼拝の中で歌うという特別な礼拝でした。
基本的にドイツの教会の礼拝では写真を撮ることが好まれていません。ビデオ撮影もしません。日本の教会のように誰かがパチパチと写真を撮っているようなことはないのです。ただ、日本の神学部の学生たちの"教育と研究"のためにドイツの礼拝を見せてあげたいという思いで、勇気を振り絞って牧師に頼み、「あまり目立たないところでしたらいいですよ」という許可をもらいました。
あまり目立たない、けれども礼拝の様子をとれる場所を確保し、大きなスタンドをもっていくと目立つので、教会の椅子に付けるような小さなスタンドで、スタンバイ・オッケー!
するとわたしの前に3人の子ずれのお母さんが、「ここ、ここ、ここが良いわよ。ハイ、早く座って」と、やってくるではないですか。
「チョット、チョット、チョット、ここはわたしが撮影するために見つけたベストポジション、その前に座られては困ります」とも言えず、しかたがなくちょっとずらしてみるものの、この家族が邪魔。こどもはチョロチョロ動くし、立ったり、座ったり。「あー、せっかくのチャンスが」と思いつつも、この家族は何も悪いことはありません。本来礼拝を守ることが中心で、撮影は二の次ですから、何とか工夫して撮影しました(下の映像に出てくる家族ですよ↓)。
コーラスが、礼拝の中で、4回。ドイツの荘厳は雰囲気とは全く違うアフリカのリズムとメロディー、聞き慣れないズールー語の響きが違和感というよりも、まさに聖霊の働きによって、世界の教会がこの礼拝堂の中でシンフォニーを奏でているような心地よさを感じました。
ドイツ人の会衆も、牧師が用意したアフリカの歌を礼拝の中で歌おうと努力しているのですが、パイプオルガンはどうも合いません。「サンテサナ イェス」という歌を歌ったのですが、本来は手拍子をして、からだを動かしながら、踊りながら歌うような曲ですが、パイプオルガンの伴奏がつくと、「サ〜ン テ〜 サ〜ナ〜 イェ〜ス〜♪」というような感じになってしまいます。まあ、太鼓や打楽器をもってこないとダメですね。
礼拝では、聖餐式が祝われました。大きなサークルを作り、パンと葡萄酒(白ワイン)を受けます。最後は手をつないで、祈り、Laudate omnes gentes(すべての人よ、主をたたえよ)という歌を歌いながら、席に帰って行きました。
もっといろいろと報告したいことがありますが、百聞は一見にしかず、映像で見てください。ただ、4回のコーラス、聖餐式で、90分の礼拝になり、電源コードをつないでなんてこともできないので、最後のほうはバッテリーが0。何とか祝祷まではとれました。
90分の礼拝を10分ほどにまとめましたので、分かりづらいところもありますが、ドイツに来なくても少しだけ、ドイツの教会の雰囲気を味わってください。
礼拝出席は、80人ぐらいだったでしょうか。
さて、みなさんに課題です。ドイツの教会の礼拝と、日本の教会の礼拝と、どこがどう違うでしょうか。気づいた点をコメントに書いてくれたら、礼拝学の単位がもらえるというようなことはありませんが、嬉しいです。
たとえば、高いところにある説教台、説教者の頭の上には何がありますか。それは何を意味しているのでしょうか。
2010年4月20日火曜日
バッハ・カンタータ神学解釈ゼミ
先日、ブログに書いたように、メラー教授のバッハのカンタータを神学的に解釈するゼミに参加してきました。
18:15−19:45の時間帯のゼミです。30人ぐらいのクラスです。ドイツの大学には履修登録はありません。ですから出席表もありません。
授業は今回で2回目なのですが、メーラ教授が
「いまここにいる人が、ゼミの参加者と思っていいですか。欠席は2回まではしかたありませんが、3回を越えたら、ゼミ参加証明書は出せません.もちろん参加するのはかまいませんが証明書は出せません」
ということです。
なかなか厳しいのと、結構アバウトな感じです。でも、結局自分なのです。自分が自覚的に参加して、積極的に課題に取り組んで、それで得た成績を集めて自分の必要な学位の条件や証明にするということです。
続けて、
「このゼミで、バッハのカンタータの神学的解釈を試みたい人は次週までに申し込んでください」
ということです。このゼミでは何もしなくても、そこにいるだけで参加証明書はもらえます。しかし、その上に発表をすることでそれを評価した成績証明書がもらえるわけです。
いまひとつドイツの大学のシステがよく分かっていませんが、とにかくやりたい人が自主的にやりたいことをやって、自分に必要な単位を集めるということです。
もちろん、いろいろな資格やテストの前提条件がありますので、自分がそのテストを受けたければ必修科目も決まってきます。別の言い方をすると、必修科目は自分で決めるわけです。なんだか日本の大学は親切すぎて、学生は受け身的な感じがしますね。まあ、それぞれのお国柄ですから。
さて、バッハのカンタータの解釈ですが。
今日は、概論の第2回でマウトナー講師(共同主催者)の講義です。
1.文献紹介
2.バッハ受容史
3.カンタータとは何か?
4.解釈の方法論
というのがゼミの内容でした。バッハの死後、啓蒙主義と敬虔主義の理性中心主義・個人主義の時代の流れの中ではなかなかバッハは評価されず、非常に厳しい批判もあったそうです。それが19世紀半ばロマン主義の登場で再び評価されてきたということです。その後20世紀に入りようやく神学的な評価の取り組みがなされてきました。
バッハの解釈の話に入ったのですが、マウトナー講師が用意した内容の5分の1ぐらいのところで、19:40ぐらいになると、学生がそわそわし始めます。別にチャイムは鳴らないのですが、そろそろ終わりだということです。この辺は日本の学生もドイツの学生もあまり変わりありません。
ただ、驚くべきことに、ドイツの学生はほとんど授業中居眠りをしていません。それを学生にいうと、ドイツの学生は眠たければ授業に出てこないだけだということです。眠たくても授業に出てきて居眠りをしてしまうのと、眠たければ授業に出ないのとはたしてどちらが良いのでしょうか。
それともドイツの教授の話はそれほどおもしろく、日本の教授はそうではないということでしょうか。ドイツの授業ではレジュメもなければ、板書もなし、パワーポイントなんてものも使いません。ただ、しゃべっているだけ、学生はそれぞれにノートを取っている。最近はノートパソコンの持ち込みも多くなりました。わたしの隣の学生は、違う文章を見たり、インターネットを開けてみたり、この辺は日本の学生と同じかな。
講義でおもしろかったのは、
バッハのカンタータで用いられている楽器にはそれぞれモティーフがあるということです。
たとえば、
縦笛(リコーダー)は死 (昔リコーダーは空洞の骨を用いられていた)
ホルンは羊飼い
トランペット・ソロは勝利
金管楽器は勝利や統治
などといったことです。あとはリズム、メロディー、ハーモニーにもそれぞれ意味なりモティーフがあるということでした。
バッハ、なかなかすごい(そんなことも知らなかったのかと言われるかもしれませんが)。
とにかく、学ぶことは楽しいですね。
解釈についての残りは来週のお楽しみだ。
ただ、カンタータを聞いて、この楽器を聞き分けられるのか。中学の音楽の実音テストを思い出す。
いま、鈴木雅明指揮 日本バッハ・コレーギウム演奏のバッハCDが話題になっています。なんとこの演奏を神戸松蔭女子学院大学チャペルで聞けるんですよ。
18:15−19:45の時間帯のゼミです。30人ぐらいのクラスです。ドイツの大学には履修登録はありません。ですから出席表もありません。
授業は今回で2回目なのですが、メーラ教授が
「いまここにいる人が、ゼミの参加者と思っていいですか。欠席は2回まではしかたありませんが、3回を越えたら、ゼミ参加証明書は出せません.もちろん参加するのはかまいませんが証明書は出せません」
ということです。
なかなか厳しいのと、結構アバウトな感じです。でも、結局自分なのです。自分が自覚的に参加して、積極的に課題に取り組んで、それで得た成績を集めて自分の必要な学位の条件や証明にするということです。
続けて、
「このゼミで、バッハのカンタータの神学的解釈を試みたい人は次週までに申し込んでください」
ということです。このゼミでは何もしなくても、そこにいるだけで参加証明書はもらえます。しかし、その上に発表をすることでそれを評価した成績証明書がもらえるわけです。
いまひとつドイツの大学のシステがよく分かっていませんが、とにかくやりたい人が自主的にやりたいことをやって、自分に必要な単位を集めるということです。
もちろん、いろいろな資格やテストの前提条件がありますので、自分がそのテストを受けたければ必修科目も決まってきます。別の言い方をすると、必修科目は自分で決めるわけです。なんだか日本の大学は親切すぎて、学生は受け身的な感じがしますね。まあ、それぞれのお国柄ですから。
さて、バッハのカンタータの解釈ですが。
今日は、概論の第2回でマウトナー講師(共同主催者)の講義です。
1.文献紹介
2.バッハ受容史
3.カンタータとは何か?
4.解釈の方法論
というのがゼミの内容でした。バッハの死後、啓蒙主義と敬虔主義の理性中心主義・個人主義の時代の流れの中ではなかなかバッハは評価されず、非常に厳しい批判もあったそうです。それが19世紀半ばロマン主義の登場で再び評価されてきたということです。その後20世紀に入りようやく神学的な評価の取り組みがなされてきました。
バッハの解釈の話に入ったのですが、マウトナー講師が用意した内容の5分の1ぐらいのところで、19:40ぐらいになると、学生がそわそわし始めます。別にチャイムは鳴らないのですが、そろそろ終わりだということです。この辺は日本の学生もドイツの学生もあまり変わりありません。
ただ、驚くべきことに、ドイツの学生はほとんど授業中居眠りをしていません。それを学生にいうと、ドイツの学生は眠たければ授業に出てこないだけだということです。眠たくても授業に出てきて居眠りをしてしまうのと、眠たければ授業に出ないのとはたしてどちらが良いのでしょうか。
それともドイツの教授の話はそれほどおもしろく、日本の教授はそうではないということでしょうか。ドイツの授業ではレジュメもなければ、板書もなし、パワーポイントなんてものも使いません。ただ、しゃべっているだけ、学生はそれぞれにノートを取っている。最近はノートパソコンの持ち込みも多くなりました。わたしの隣の学生は、違う文章を見たり、インターネットを開けてみたり、この辺は日本の学生と同じかな。
講義でおもしろかったのは、
バッハのカンタータで用いられている楽器にはそれぞれモティーフがあるということです。
たとえば、
縦笛(リコーダー)は死 (昔リコーダーは空洞の骨を用いられていた)ホルンは羊飼い
トランペット・ソロは勝利
金管楽器は勝利や統治
などといったことです。あとはリズム、メロディー、ハーモニーにもそれぞれ意味なりモティーフがあるということでした。
バッハ、なかなかすごい(そんなことも知らなかったのかと言われるかもしれませんが)。
とにかく、学ぶことは楽しいですね。
解釈についての残りは来週のお楽しみだ。
ただ、カンタータを聞いて、この楽器を聞き分けられるのか。中学の音楽の実音テストを思い出す。
いま、鈴木雅明指揮 日本バッハ・コレーギウム演奏のバッハCDが話題になっています。なんとこの演奏を神戸松蔭女子学院大学チャペルで聞けるんですよ。
2010年4月19日月曜日
キタ−! 春−!
今日の礼拝は街の中心にある聖霊教会に行ってきました。この様子をビデオに撮れたので、またの機会にご紹介します。
礼拝で、日本でもおなじみの実践神学のメラー教授に出会い、食事に誘われました。
「どこかレストランにでも行こうか、それとも、、。そうだ、わたしの書斎がある別荘に行こう」と車で30分も離れた別荘に連れて行ってもらいました。
山の中腹の田舎町ですが、写真のようにとてもすばらしい眺めのところに、自分だけの別荘・書斎があるなんて、日本で2畳ほどのコーナーで仕事をしているわたしにはうらやましい限りです。
メラー教授(70歳)自らスパゲッティ・ボロネーゼ、サラダを作ってくれて、ワインまでご馳走になりました。
「知ってるか、こういう歯ごたえのある麺のことをアルデンテっていうんだ」と言われました。
ええ知ってますとも、でもちょっとパリパリ感が残りすぎているんですけど、、、。
それはともかく、ドイツでの実践神学の話、日本の聖餐論争について、わたしの研究テーマのことなど、2時間ぐらい話をしました。
メラー教授の新しい本はいずれ「アレテイア」という雑誌で紹介します。
「じゃあ、帰ろう。あっ、そうだ、明日の夜6時からわたしがバッハの神学的解釈のゼミをやっているから、ぜひ来なさい」」「はいーっ!」とまたハイデルベルクの街に戻ってきました。
息子さんはポーランドで一番有名なドイツ人俳優だそうです。彼も日本に来たことがあり、京都を案内しました。
天気の良い午後、ハイデルベルクに戻ってくると、河原は人だらけです。
ドイツも本格的に春です。ハイデルベルクはネッカー川沿いにあります。このネッカー川はライン川に合流し、ここから舟に乗ると「なじかは知らねど、心わびて」でおなじみのローレライにつながっています。最もこの歌うたえるのは、ドイツの老人と日本人ぐらいだと聞いています。また、このネッカー川を上っていくと、最初いたロイトリンゲン、その隣のチュービンゲンに行きます。
1年間の日照時間が短いドイツでは、とにかく太陽好き。ちょっとでも太陽が出ていると、オープンカフェでゆっくりしたり、ベランダや野外でこうして日光浴を楽しんでいます。
若い男性は上半身裸、若い女性はビキニ姿で、寝そべっています。ただ何をするともなく、しゃべったり、本を読んだり、うとうとしたりです。
本格的に春ー!って感じです。でも、日本人からすると夏ですかといいたくなるような風景ですが。
ちょっと暖かくなると、若い人たちは半ズボンと半袖、タンクトップ姿で歩いています。その横を、年配者がコートを着ているということもあります。着たい服を着たい人が着る。それにとやかく言わないのがドイツです。たとえ言ったとしてもそんなことを気にしないのがドイツでもあります。
まあ、日本人からすると、全然おしゃれじゃありません。
こんな天気のいい日は、部屋でブログを書いている場合じゃないんですけど。
礼拝で、日本でもおなじみの実践神学のメラー教授に出会い、食事に誘われました。
「どこかレストランにでも行こうか、それとも、、。そうだ、わたしの書斎がある別荘に行こう」と車で30分も離れた別荘に連れて行ってもらいました。
山の中腹の田舎町ですが、写真のようにとてもすばらしい眺めのところに、自分だけの別荘・書斎があるなんて、日本で2畳ほどのコーナーで仕事をしているわたしにはうらやましい限りです。
メラー教授(70歳)自らスパゲッティ・ボロネーゼ、サラダを作ってくれて、ワインまでご馳走になりました。
「知ってるか、こういう歯ごたえのある麺のことをアルデンテっていうんだ」と言われました。
ええ知ってますとも、でもちょっとパリパリ感が残りすぎているんですけど、、、。
それはともかく、ドイツでの実践神学の話、日本の聖餐論争について、わたしの研究テーマのことなど、2時間ぐらい話をしました。
メラー教授の新しい本はいずれ「アレテイア」という雑誌で紹介します。
「じゃあ、帰ろう。あっ、そうだ、明日の夜6時からわたしがバッハの神学的解釈のゼミをやっているから、ぜひ来なさい」」「はいーっ!」とまたハイデルベルクの街に戻ってきました。
息子さんはポーランドで一番有名なドイツ人俳優だそうです。彼も日本に来たことがあり、京都を案内しました。
天気の良い午後、ハイデルベルクに戻ってくると、河原は人だらけです。
ドイツも本格的に春です。ハイデルベルクはネッカー川沿いにあります。このネッカー川はライン川に合流し、ここから舟に乗ると「なじかは知らねど、心わびて」でおなじみのローレライにつながっています。最もこの歌うたえるのは、ドイツの老人と日本人ぐらいだと聞いています。また、このネッカー川を上っていくと、最初いたロイトリンゲン、その隣のチュービンゲンに行きます。
1年間の日照時間が短いドイツでは、とにかく太陽好き。ちょっとでも太陽が出ていると、オープンカフェでゆっくりしたり、ベランダや野外でこうして日光浴を楽しんでいます。
若い男性は上半身裸、若い女性はビキニ姿で、寝そべっています。ただ何をするともなく、しゃべったり、本を読んだり、うとうとしたりです。
本格的に春ー!って感じです。でも、日本人からすると夏ですかといいたくなるような風景ですが。
ちょっと暖かくなると、若い人たちは半ズボンと半袖、タンクトップ姿で歩いています。その横を、年配者がコートを着ているということもあります。着たい服を着たい人が着る。それにとやかく言わないのがドイツです。たとえ言ったとしてもそんなことを気にしないのがドイツでもあります。
まあ、日本人からすると、全然おしゃれじゃありません。
こんな天気のいい日は、部屋でブログを書いている場合じゃないんですけど。
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